2015年10月21日水曜日

映画でセルバンテスを観て

セルバンテスについて

 2016年はセルバンテス没後400年で、しかも今年マドリードの修道院で遺骨が発見されたため、大きな話題となっています。セルバンテスはマドリード近郊の下級貴族の子として生まれますが、家は貧しく、各地を転々として暮らしていました。10代後半にマドリードで人文学者に師事し、21歳頃教皇特使の従者としてローマに行き、ここで多くの古典を学ぶ機会を得ました。その後、彼は軍人となり、1571年にレパントの海戦に参戦して左手を失いますが、さらに4年間軍人として各地を戦い、これがセルバンテスの大きな誇りとなりました。
 28歳の時、セルバンテスは帰国の途につきますが、海賊に襲われて捕虜となり、身代金が払えなかったため、アルジェで5年間奴隷として使役されます。33歳の時にようやく帰国しますが、故郷では6人の家族を養わねばならず、本を書いてみましたが売れず、やむなく無敵艦隊の食糧調達の仕事や、徴税吏の仕事をして全国を歩き回ります。ところが徴収した税金を預けておいた銀行が破産したため、1597年にセルバンテスは投獄されます。この時かれは50歳になっていました。まさに踏んだり蹴ったりの人生でした。そして、この投獄されている時に、「ドン・キホーテ」の着想が生まれたと言われます。
 この頃から、セルバンテスの作品は少しずつ売れるようになり、彼は本格的に作家としての道を歩むようになります。1605年に「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」が出版され、大評判となりますが、セルバンテスは版権を売り渡していたため、どんなに本が売れても、相変わらず彼は貧しいままでした。やがて続編を書くようにとの要望が高まりますが、このような大著を書くには時間がかかるため、短編を書いて日銭を稼ぐ必要があり、続編は遅々として進みませんでした。ところが、1614年に「ドン・キホーテ続編」の偽物が出版されたため、急きょ1615年にセルバンテス自身による後編が出版されました。これも大評判となりましたが、セルバンテスは相変わらず貧しいままであり、1616年に68歳の生涯を閉じました。波乱に満ちた、報われることの少ない一生でしたが、「ドン・キホーテ」は人類の宝として、多くの人々に恵みを与えることになります。


「ドン・キホーテ」について

 「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」というのは、「マンチャ村の郷士(ドン)キホーテ」といった意味です。主人公の本名は、マンチャ村の郷士だったアロンソ・キハーノで、彼は騎士道小説を読み過ぎて頭が変になり、自らドン・キホーテと名を改め、悪を倒して正義をおこなうために、遍歴の旅に出ます。お供は純朴な農民であるサンチョ・パンサと痩せ馬のロシナンテです。「ドン・キホーテ」は、この二人の滑稽なやり取りと、二人が遭遇するさまざまな事件を描いたものです。
 「ドン・キホーテ」について、私には到底解説することができません。この小説は、それが読まれた時代によって、また読む人によって、さまざまに受け取られるからです。山川出版の「世界史用語集」では「時代錯誤の騎士ドン・キホーテが従士サンチョ・パンサとくりひろげる滑稽物語で社会風刺に富み、最初の近代小説と呼ばれる」と書かれており、これが間違っているとは思いませんが、このような表現では、とうてい「ドン・キホーテ」を語りつくすことはできません。確かに当初は、「ドン・キホーテ」は滑稽物語として読まれていましたが、18世紀には古い悪習に対する強烈な批判精神が評価されるようになります。そして19世紀にドストエフスキーは、「人間の魂の最も深い、最も不思議な一面が、人の心の洞察者である偉大な詩人によって、ここに見事にえぐり出されている」、「人類の天才によって作られたあらゆる書物の中で、最も偉大で最ももの悲しいこの書物」(ウイキペディア)とまで述べています。
 20世紀には、「ドン・キホーテ」は苦難の生涯を歩んだセルバンテスの分身であるとか、繁栄と没落を経験したスペインそのものである、といった評価も生まれます。さらに「ドン・キホーテ」は、極めて複雑な構造をもっていることが注目されます。この小説は、妄想と現実と小説が複雑に入り混じっています。何しろ、後編では、前篇で書かれた話を、ドン・キホーテとサンチョ・パンサが議論したり、前篇を読んだ公爵夫妻がドン・キホーテのファンとなり、ドン・キホーテを饗応するといった話が出てきます。そして、その間にさまざまなエピソードが語られ、それらが無理なく全体の一部を構成しています。つまり、「ドン・キホーテ」は、現実と妄想と小説の間に、様々な観念が林立する一つの「世界」を形成しているのではないか。
 もはや私には、「ドン・キホーテ」について、これ以上語ることはできません。この小説は、聖書に匹敵するベスト・セラーとも言われ、多くの人々が何度もこの小説を読み返しました。私自身、50年ほど前に「ドン・キホーテ」を読んだのですが、ふとしたことから、数年前にもう一度読んでみました。そうすると、そこには50年前に読んだ「ドン・キホーテ」とはまったく別の世界が広がっていました。その結果、もう一度読んでみたいと思ったのですが、もはやその気力はありません。もう一度読んだら、さらにもう一度読みたいと思うに決まっているからです。
 「ドン・キホーテ」の世界は極めて多様であり、今までに、劇化や映画化の試みが何度か行われましたが、実現しませんでした。次に紹介する映画「ラ・マンチャの男」は、ミュージカルとして制作され、ちょっとした工夫をすることによって、「ドン・キホーテ」の世界の一面をよく描いているように思います。


「ラ・マンチャの男」

 「ラ・マンチャの男」は、もともと1965年にブロードウェイで公開されたミュージカルで、大変な好評を博し、56カ月というロングランを記録しました。日本でも、九代目松本幸四郎が演じ、その公演は1000回を超えています。そして、1972年に、このミュージカルがイタリアで映画化されました。
 このミュージカルで行われた「工夫」とは、舞台を牢獄の中に置いたということです。まずセルバンテスが投獄され、牢獄には社会の底辺に生きる様々な人がいました。これは現実です。かれは牢の中で、彼が書き溜めた「ドン・キホーテ」の物語の原稿を見せ、囚人たちを役者にして演劇をやろうと提案します。まず、セルバンテス自身がラ・マンチャの田舎郷士アロンソ・キハーナを演じることにし、次々と役を決めていきます。これは小説の中の現実です。そして、アロンソ・キハーナがドン・キホーテとして遍歴の旅に出ます。これは妄想です。
 妄想の中の主な舞台は、安宿です。ドン・ホーテには、この安宿が城に見え、宿の主人は領主にみえます。一方、騎士道物語においては憧れの貴婦人が必要です。彼には宿の女中であるアルドンサを理想の貴婦人ドルシネアに見えます。ドン・キホーテは、狂っているとはいえ、騎士としてあくまで純粋であり、滑稽ではありますが、正義を貫き、貴婦人を敬い、騎士道精神を貫きます。そうした中だ、アルドンサも宿の人々もドン・キホーテに共感するようになり、さらにそれを演じた囚人たちも、ドン・キホーテに共感するようになります。そして最後に、この映画のテーマ曲である「見果てぬ夢」を合唱して、ドン・ホーテの芝居は終わります。

 最後に、セルバンテスは裁判のため牢から引き出されます。果たして現実は、牢の外なのか中なのか、ラ・マンチャの郷士なのかドン・キホーテなのか、これが「ドン・キホーテ」という小説の多重構造であり、映画はそれを巧みに描いています。この映画は「ドン・キホーテ」を人情物として描いており、それが「ドン・キホーテ」のすべてではありませんが、それなりに感動して観ることができました。なお、テーマ曲「見果てぬ夢」は大ヒットしました。


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