はじめに
十字軍に関する映画を3本観ました。第1回十字軍を扱った「クルセイダーズ」、第3回十字軍を扱った「キングダム・オブ・ヘブン」、テンプル騎士団を扱った「アーン 鋼の騎士団」です。
十字軍とは何かという問いには、私にはとうてい答えられません。11世紀末期に西欧の人々が、聖地エルサレムをイスラーム教徒から奪回するため、200年程の間に7回遠征を行います。「聖地奪回」といっても、エルサレムがイスラーム教徒によって占領されてから、すでに400年もたっているのに、なぜ今さら「聖地奪回」なのでしょうか。十字軍の原因については、数えきれない程の研究があり、これも到底、ここで述べられるような内容ではありません。
西ヨーロッパは、西ローマ帝国の滅亡後、長い混乱と外民族の侵入に苦しめられ、長い間内部に閉じこもっていました。しかし11世紀になると人口が急増し、農民は生活に困窮し、領主たちは土地を巡って絶え間なく争っていました。いわばヨーロッパは閉塞状況にあり、人々は突破口を求めていました。きっかけは、セルジューク朝の攻撃に悩まされていたビザンツ皇帝が、ローマ教皇ウルバヌス2世に数千人規模の傭兵隊の派遣を依頼したことから始まり、これに応えて教皇が十字軍の派遣を訴えたことにありました。そしてその結果は、ビザンツ皇帝やローマ教皇の予想を遙かに上回る大運動へと発展していったのです。
1095年に聖地回復のための十字軍が提唱された後、人々は異常な熱狂に包まれました。実際に十字軍が出発する前に、民衆十字軍と呼ばれる人々が聖地に向かいました。それは農民、商人、年寄、女性、子供、下級騎士など、あらゆる階層の人々が集まり、聖地へ向かったのです。その数は4万人ともいわれています。ウルバヌス2世が十字軍の覇権を訴えたのが1095年11月で、民衆十字軍が出発したのが翌年4月ですから、人々は、この時を待っていたかのようでした。彼らの多くは武器も持たず、食糧の準備も不十分だったので、途中の村や町で略奪を働きながら進んで生きました。掠奪された村や町にとっては、迷惑としか言いようがありません。
この事態にビザンツ帝国も驚愕しました。今日風に言えば、突如難民の群れが押し寄せたかのようでした。彼らに食糧を提供するだけでも大変でしたので、ビザンツ帝国は彼らを船に乗せてボスフォラス海峡を渡し、さっさと小アジアへ送ってしまいます。彼らはろくに武器もなく、しかも内部分裂をおこしていましたので、小アジアではたちまちイスラーム軍に蹴散らされ、ここでほとんど全滅してしまいます。そして彼らが出発してから4か月後に、正規の十字軍が出発することになります。
クルセイダーズ
2001年のドイツ・イタリアによる合作映画で、「クルセイダーズ」というのは「十字軍」という意味です。この映画で扱われているのは第一回十字軍ですので、時代は11世紀の末期です。場所は特定できませんでしたが、多分南イタリアであろうと思います。南イタリアとシチリア島は地中海のど真ん中にあり、イスラーム教徒との関係も深く、さらにこの時代にはノルマン人(ヴァイキング)が進出してきていました。映画に登場する3人の若者は、ノルマン人の軍隊に入り、彼らの船で聖地へ向かいます。
映画では3人の若者を中心にして、十字軍について描かれます。主人公はピーターで、イスラーム教徒の父とキリスト教徒の母との間に生まれ、叔父に鋳物職人としてキリスト教社会で育てられましたが、いつも異教徒の息子として差別されていました。そして恋人を巡って騒動を起こし、村にいられなくなったため、十字軍に参加しようと決意します。ピーターの友人でアンドリューという羊飼いがおり、彼は十字軍の兵士になって手柄を立て、戦士として成功したいと考えていました。さらにリチャードという領主の息子がいます。彼の父は十字軍遠征から帰ってまもなく、叔父に殺され、リチャードは領地を奪われたため、十字軍に参加することになりました。この三人は、まさに十字軍に参加した人々の三つの類型を暗示していると思います。
しかし、十字軍は遠征途上で略奪を繰り返し、三人とも十字軍に疑問を感じるようになります。その結果、ピーターとリチャードは十字軍を離れ、巡礼のためエルサレムに向かいます。もともと戦士としての成功を望んでいたアンドリューは十字軍の一員としてエルサレムを攻撃します。ピーターは、イスラーム教徒の側に立って十字軍と戦いますが、エルサレムは陥落し、ピーターとリチャードは陥落直前にエルサレムから脱出します。その後エルサレムは、十字軍によって徹底的に破壊、掠奪、殺戮、暴行が行われます。まさにこれが、これが十字軍の実態でした。
ピーターとリチャードは、やがて故郷に帰りますが、リチャードはまもなく病死します。ピーターは恋人と再会し、鋳物師として静かに生涯を過ごすことになります。一方アンドリューも帰国し、十字軍で活躍した褒美として、かつて住んでいた土地の領主となり、チャールズを偲んでピーターとともに立派な教会を建てます。結局、彼らにとって十字軍の戦いは、無意味な戦いでした。
映画は200分を超える長編で、また焦点がどこにあるのかもよく分かりませんでした。しかも、「これからは破壊ではなく、建設を行おう」という陳腐な結末で、あまり出来の良い映画とは言えませんでした。ただ、当時のヨーロッパの閉塞状況と十字軍の実態を知るのには、大いに役立つ映画でした。
キングダム・オブ・ヘブン
2005年にアメリカで制作された映画で、エルサレム王国の滅亡を、比較的史実に忠実に描いています。なお、「キングダム・オブ・ヘブン」とはエルサレム王国のことです。
前の映画「クルセイダーズ」で観た第1回十字軍は、1099年にエルサレムを陥落させ、そこにエルサレム王国を建国しました。十字軍がエルサレムで国家を建設するにあたって、圧倒的多数のイスラーム教徒やユダヤ教徒を敵に回して統治することは困難であり、したがって、エルサレム王国はイスラーム教国と和平や同盟を結んで平和を維持していくしかありませんでした。こうした政策自体は当然の結果でしたが、しかし、それはもはや聖戦ではなく領土支配であり、聖戦の本来の意味は失われつつありました。
しかし、聖戦のために後から来た人々にとって、それは許しがたい堕落でした。しかも戦争がなければ、掠奪も領土の獲得もできない分けですから、彼らの不満が募って行きます。その結果、王国内部に醜い権力闘争が展開されることになり、エルサレム王国はもはや「天の王国」とはとうていいえない状態にありました。しかし、イスラーム世界自体が分裂していたため、エルサレム王国はなんとか維持されていたのですが、この時代にサラディンという強力な指導者が、イスラーム世界に登場することになります。
サラディンはクルド人の出身で、ダマスクスを中心に勢力を拡大し、やがてエジプトにアイユーブ朝を創建する人物です。彼は教養があり、無意味な殺戮を行わず、ヨーロッパでも騎士中の騎士として知られていました。一方エルサレム王国では、1174年にボードゥアン4世が13歳で即位しますが、彼は非常に才能豊かで、統治者としての能力にも優れていました。1177年、彼は16歳の時にサラディン軍を破り、以後もサラディンと死闘を繰り返しますが、1180年には和平協定が締結されます。サラディンとボードゥアン4世とは、お互いに一目をおく関係にありました。しかし不運なことに、ボードゥアン4世はハンセン病(らい病)に犯されており、子をもうけることもできなかったため、王位継承をめぐる激しい対立が起こっていました。この映画の主人公バリアンがエルサレムに着いたのは、こうした時代でした。
バリアンはフランスの片田舎で暮らす加治屋でした。ある時立派な身なりの騎士が訪れ、実は自分はバリアンの父であり、跡取りがいないので一緒にエルサレムに行こうと誘います。バリアンは迷った末、父についていくことにしました。父はまもなく死んだため、バリアンは父の領地を継ぐとともに、国王ボードゥアンや姉のシビラにも気に入られます。しかしまもなく彼は、エルサレム王国の権力闘争に巻き込まれていきます。ボードゥアンは甥をボードゥアン5世として即位させ、映画ではバリアンに後事を託して死んでいきます。24歳でした。
ボードゥアン4世の姉シビラの夫ギーは野心家で、対イスラーム強硬論者でしたので、サラディン軍に無謀な戦いをしかけて全滅し、1187年にエルサレムはサラディン軍に包囲されます。バリアンは僅かに残った兵とともに全力で応戦し、その上でサラディンと交渉します。そして意外にもサラディンは、虐殺も掠奪もしないこと、全住民が安全に退去することを保証しました。かつて十字軍がエルサレムを占領した時、虐殺と掠奪を行ったにもかかわらず、です。こうして1099年に建国されたエルサレム王国は、100年足らずで事実上消滅することになります(形式上は13世紀末まで残ります)。
映画は概ね史実に基づいて描かれています。ただ、主人公のバリアンは実在しますが、実在の人物とはまったく別の人物として描かれています。この間にシビラとバリアンは恋をし、二人はともにバリアンの故郷に帰り、鍛冶屋として静かな生活を始めます。バリアンがエルサレムで暮らした3年程の生活は、何だったのでしょうか。バリアンはエルサレムを去るにあたって、サラディンに「エムサレムとは何か」と尋ねます。これに対してサラディンは「無である。しかし全てである」と答えます。
バリアンが帰郷した頃、「エルサレム奪回」のための第3回十字軍が発動され、十字軍の騎士たちが彼の村を通過していきます。また、空しい戦いが始まろうとしています。そして映画の最後に、「それから約1000年、天の王国の平和は未だ遠い」という字幕が出て映画は終わりますが、この言葉は陳腐に聞こえます。その後エルサレムの支配者は何度か交替しますが、イスラーム教徒の支配下にあってエルサレムは概ね平和でした。ただ、20世紀になってヨーロッパが進出するようになると、エルサレムを含む中東は、再び混乱状態に陥っていくのです。
アーン 鋼の騎士団
2007年にイギリス・スウェーデンなどにより制作された映画で、スウェーデンのアーンというテンプル騎士団の騎士を扱っています。原題は「アーン テンプル騎士団」で、時代は前の「キング・オブ・ヘブン」とほぼ同じで、12世紀の終わり頃です。
12世紀のスウェーデンについては、私はまったく知識がありませんが、すでにヴァイキングの時代か終わっていたことは確かです。映画ではキリスト教一色に描かれていますが、スウェーデンが完全にキリスト教化したのは12世紀半ばで、この頃まで国王が伝統宗教の儀式を行っていました。映画ではこの頃に国王が暗殺されていますので、もしかすると伝統宗教派とキリスト教派との対立があったのかもしれません。いずれにしても、国王の力は弱く、地方豪族の力が強大で、豪族間の対立が頻発していたようです。
映画の随所で聖母マリアへの崇拝が語られ、しばしばマリア像が象徴的に映し出されますが、聖母崇拝は中世末期に普及する信仰で、12世紀のスウェーデンで聖母崇拝があったとは思えません。これは、スウェーデン古来の信仰が女神を崇拝していたため、古来の信仰とマリアのイメージをだぶらせているように思えました。この時代のスウェーデンの人々には、まだ古来の信仰が残っており、キリスト教と習合していく過程でマリア像が大きな役割を果たしていたのではないでしょうか。そうした観点でこの映画を観ると、大変興味深く観ることができしたが、これはあくまで私個人の勝手な推測にすぎません。
主人公のアーンは地方豪族の家に生まれ、当時の国王とは対立関係にありました。そして対立する豪族の娘を愛し、結婚以前に妊娠させてしまったため、娘は20年間修道院に監禁され、アーンはテンプル騎士団に入って聖地で戦うことを求められます。映画は、森に覆われた寒冷地スウェーデンと、乾燥した砂漠の地シリアを交互に映し出し、苦難に満ちた二人の生活を追います。
ここで、テンプル騎士団について述べておきたいと思います。1099年にエルサレムが陥落し、エルサレム王国が成立すると、多くの十字軍の騎士たちは国に帰って行ったため、エルサレムの防衛が問題となりました。そこで、聖地エルサレムの防衛とキリスト教巡礼者の保護・支援を目的として騎士修道会が創設されます。そのメンバーは、まず第一に厳格な規律のもとに置かれた修道士ですので、彼らは言わば戦う修道士集団ということになります。設立年代順にあげれば、聖ヨハネ騎士団、テンプル騎士団、ドイツ騎士団などが代表的です。
テンプル騎士団は、エルサレムの「神殿の丘」に本部が置かれたため、「神殿=テンプル騎士団」と呼ばれました。この騎士団は教皇からさまざまな特権を得るとともに、多くの寄進を受けて財政豊かだったため、イスラーム教徒との戦いでも主要な役割を果たします。また、この騎士団の特異性は、その財政運営にあります。テンプル騎士団には財政部門が存在し、その安定した資金力と武力によって、王侯がこの騎士団に財政資金を委ねるなど、一種の預金業務のようなことを行っていました。さらに、聖地への巡礼者が多額の現金をもって旅をするのは危険なため、テンプル騎士団に手形を発行してもらい、それをエルサレムの本部で現金に交換してもらうという、一種の為替業務まで行っていました。少し話が逸れてしまいましたが、いずれにせよ、アーンがやって来た頃のテンプル騎士団は、その豊富な資金力と軍事力によって、エルサレム王国を守っていました。
アーンは優れた戦士であり、1177年のサラディンを破った戦いにも参加していました。映画では、この戦いはアーンの功績のように描かれていますが、実際には病身のボードゥアン4世が先頭に立って戦った戦いでした。この間アーンの名声はイスラーム世界にも響き渡り、一度アーンがサラディンを救ったとき、サラディンはアーンを真の騎士として賞賛します。前の映画「キングダム・オブ・ヘブン」でも主人公はサラディンに賞賛されますので、この種の映画ではサラディンに賞賛させることで主人公の偉大さを示すのがパターンのようです。逆に言えば、それ程サラディンの名声が高かったということです。サラディンは色々な人を褒めなくてはならないので、忙しいことです。
彼は20年間テンプル騎士団で勤めたのち故郷に帰り、20年ぶりに恋人と再会して正式に結婚します。しばらく平穏な時期が続きますが、国王の継承争いに巻き込まれて、再び戦うことになり、彼自身はこの戦いで戦死しますが、戦争には勝利して王国の平安を保つことには成功します。そして最後に字幕で、ここにようやく統一されたスウェーデン王国が誕生したと書かれますが、これが具体的に何を指しているのか分かりません。ただ、戦争の過程でデンマークやノルウェーとの関係が描かれており、興味深く観ることができました。
映画は200分近い長編で、北欧と聖地を舞台とした壮大な叙事詩で、見応えのある映画でした。ただ、私のような素人には、もう少し説明が欲しいと思いました。
蛇足ですが、宗教騎士団のその後について述べておきたいと思います。十字軍運動が終われば宗教騎士団の存在は意味を失います。テンプル騎士団はその資金力で金融業者のようにして生き延びますが、14世紀に入って、フランスの強欲な国王フィリップ4世によって弾圧され、金を強奪され、滅びて行きます。ドイツ騎士団は、東欧へのキリスト教布教を名目に東方植民を行い、やがてこれがプロイセン国家の母体となります。そして聖ヨハネ騎士団は、その後ロードス騎士団、マルタ騎士団と名前を変えつつ生き延び、現在もローマに本部を置いて慈善活動を行っています。