2009年にイタリアで制作されたテレビ用の映画で、12世紀の神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(バルバロッサ=赤髭王)を扱っています。本来200分の映画を120分程に短縮しているため、時々話が繋がらなくなり、また焦点がどこにあるのか、よく分かりませんでした。
まず、神聖ローマ帝国とは何かということについて述べねばなりませんが、私にはとうてい説明しきれません。授業などでも、生徒に納得させるのに最も苦労するテーマです。要するに神聖ローマ帝国とは、800年にカール戴冠によって生まれた「ローマ帝国」のことです。その後フランク王国は分裂しますが、東フランク王国はローマ皇帝位を引き継ぎ、現在で言うドイツとイタリアの国王となった上で、ローマ教皇によりローマ皇帝として戴冠されます。この点については、「映画で古代ローマを観て(2) ザ・ローマ帝国の興亡 第5話 コンスタンティン」を参照して下さい(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/)。そして、この段階ではまだ、「神聖ローマ帝国」という表現は用いられず、あくまでも「ローマ帝国」であり、それはすでに滅び去ったローマ帝国を理想とする理念的な帝国ですが、実体としてはドイツ王国とイタリア王国をすぎません。
ロンバルディア同盟(ウイキペディア)
ところが12世紀に登場したフリードリヒ1世は、この理念的な帝国を現実のものにしようとし、教会も支配下におくために、自らを「神聖皇帝」と名乗りました。ここに神聖ローマ帝国という呼称が形成されてくるわけです。もちろんフリードリヒ1世は夢想家ではなく、非常に有能で現実的な君主でしたので、ローマ教皇を支配するためにはイタリアの支配を固めねばならないことは分かっていました。そこで北イタリアのロンバルディアの征服を目指すのですが、この地方には独特の気風がありました。6世紀にゲルマン民族の一派であるロンバルド(ランゴバルド)人がイタリアに侵入し、200年に亘ってイタリアを支配します。ロンバルド人の圧迫を受けたローマ教皇は、フランク王国のカール1世に援助を求め、カールはこれを征服し、800年に彼がローマ皇帝に戴冠されると、ロンバルド人も「ローマ帝国」の一環に組み込まれることになります。ロンバルド人は各地に多数の自立的な都市を建設し、皇帝に対抗するためローマ教皇と連携するようになります。皇帝は常にこれらの都市の反乱に苦しめられ、絶えずイタリアに遠征することを強いられました。これが、神聖ローマ皇帝の「イタリア政策」と呼ばれるものです。
映画は、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世とイタリア都市との、こうした対立を描いています。1162年にフリードリヒ1世はロンバルディアの中心都市ミラノを征服し、これを徹底的に破壊します。これに対して、1167年に30程の都市がロンバルディア同盟を結成してフリードリヒ1世と戦い、勝利します。この結果、フリードリヒ1世はイタリア政策を断念せざるを得ませんでした。この時代のヨーロッパでは、封建諸侯や都市が自立化し、一方で王権が台頭して諸侯や都市との間で対立していました。そしてフリードリヒ1世は、イタリア政策を成功させるためドイツ諸侯に譲歩して特権を与え、その結果ドイツの分裂を招くとともに、結局イタリアでも敗北してしまいます。その結果イタリアでは都市の自立化が一層進み、国家の統一がなされませんでした。イギリスやフランスで強力な集権国家が形成されていったのに対し、ドイツやイタリアが統一されるようになるのは、実に19世紀になってからです。
もちろん、ドイツやイタリアの統一が遅れたことをフリードリヒ1世一人の責任にすることはできないし、今日から見れば集権国家がよいのか地方分権がよいのか、といことについては一概には言えません。今日では、EUという枠組みの中で、地方のアイデンティティを重視する傾向が強まっています。それは神聖ローマ帝国という理念的な枠組みの中で、様々な勢力が共存するのと似ています。神聖ローマ帝国という概念は、古くて新しいテーマだと言えます。
この映画自体は、率直に言ってつまらない映画でした。ただ、バルバロッサという珍しい人物を観ることができたことと、コンスタンティヌスの理想の古代キリスト教帝国からカール戴冠を経て、神聖ローマ帝国からEUというヨーロッパに脈々と流れるヨーロッパ統合の一端を垣間見ることができました。
「ブレイブハート」
1995年にアメリカで制作された映画で、13世紀末から14世紀にかけてのスコットランド独立戦争を描いた映画で、前の「バルバロッサ」より100年程後のことです。「バルバロッサ」は、普遍帝国の建設を目指したフリードリヒ1世に対して、ロンバルディアの反乱を扱った映画でしたが、「ブレイブハート」はイングランドによるブリタニアの統一に対し、スコットランドの反乱を描いた映画です。どちらも、普遍帝国や集権国家に対する地方の抵抗を描いています。
スコットランド
スコットランドは、ケルト系のスコット人を中心に多くの民族から構成され、長く群雄割拠の状態が続き、9世紀にようやく王国が成立しますが、イングランドとの対立は続きます。その上王家内部の醜い争いも続き、それはシェイクスピアの「マクベス」の舞台ともなりました。こうした中で、1286年にスコットランドで王家が断絶し、王家に少しでもつながりのある13人もの人が王位継承を求めたため、収拾不能に陥りました。そこでスコットランドは、イギリス国王エドワード1世に仲裁を依頼しますが、前々からスコットランドの支配を狙っていたエドワード1世は、この機会にスコットランドの支配を目指します。スコットランドの貴族たちはエドワード1世に臣従し、スコットランドに対するイングランドの宗主権を容認します。
エドワード1世はイングランドでは賢王として知られていますが、スコットランドでは「スコットランド人への鉄槌」とさえ呼ばれ、映画では狡猾で残忍な君主として描かれています。彼は、スコットランドに総督をおいて支配するとともに、スコットランドの領主にイングランドの土地を与えて懐柔し、さらにイングランドの領主にスコットランドの土地を与えて支配させます。その結果、スコットランドの農民たちはイングランドの領主の搾取に苦しめられことになります。貴族たちは自分たちの利益だけを追求してイングランドに臣従したのに対し、農民たちには反イングランド感情が強まっていきます。
こうした中で登場したのが、ウィリアム・ウォレスで、彼は実在の人物です。「ブレイブハート」とは「勇者の心臓」という意味で、「勇者の心臓」を入れた木箱を前方に投げ、この心臓を越えて前に進めというような意味だそうで、史実としてはウォレスの心臓のことではないそうですが、映画では「ウォレスを越えて進め」というような意味で用いられています。彼は家族をイングランド軍によって殺されたため反乱を起こし、彼のもとにたちまち多くの農民が集まってきました。1297年にイングランドの大軍を巧みな戦法で破り、彼はスコットランドの英雄となりますが、翌98年に貴族の裏切りもあって敗北します。その後、彼はゲリラ戦を展開しますが、1303年にはイングランド軍がスコットランドを制圧します。そして1305年にウォレスは捕らえられ、八つ裂きの刑という酷刑で処刑されました。
この映画は、どこまで史実に忠実に描かれているかは分かりませんが、180分近い長編で、かなり見応えのある映画でした。戦闘場面は迫力がありましたが、ロケ中にエキストラが腕時計をしていることが判明し、撮りなおしたそうです。また、私は気づきませんでしたが、戦闘場面で白いバンが写っているようです。
ウォレスは、スコットランド人としてのアイデンティティを生み出した人物とされています。その後、1318年にスコットランドは実質的に独立を達成しますが、14世紀後半にステュアート朝が成立すると、再び醜い権力闘争が展開されますが、16世紀になるとステュアート家はイングランド王室と婚姻関係を結ぶようになります。そしてエリザベス女王が後継者なしで死亡すると、1603年にステュアート家のジェームズ6世が、イングランドのジェームズ1世として即位します。ここにスコットランドとイングランドが同じ君主を戴く同君連合が成立しました。
この同君連合は、一見スコットランドがイングランドを支配しているかのように見えますが、事実は逆で、ステュアート家の君主たちはほとんどスコットランドに戻らず、これに対するスコットランドの不満が高まりました。さらにスコットランドとイングランドとの宗教対立もあり、結局17世紀半ばにクロムウェルによるスコットランド征服が行われます。こうして、1707年にスコットランドはイングランドに最終的に併合されることになります。
しかし近年、スコットランドの独立要求が高まっています。2014年にスコットランド独立を問う住民投票が実施され、44.7%対55.3%で否決されましたが、2015年に実施された下院議員の総選挙では、スコットランドに割り当てられている59の議席数のうち、スコットランドの独立を主張するスコットランド国民党が56議席を占めました。日本では考えられないことですが、ヨーロッパでは、前にみたスペインのバスクのように(「バスク大統領亡命記」http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2015/04/blog-post_8.html)、こうした分離独立の要求を掲げる地域がかなりたくさんあります。
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