2020年12月26日土曜日

最近観た映画(2)

 一輪明月 〜弘一大師の生涯〜


2005年に中国で制作された映画で、20世紀に活躍した孤高の天才芸術家 弘一(李叔同)の生涯を描いています。彼は、西洋画、音楽、書、文学、演劇など多岐に渡る芸術的足跡を残しますが、その生涯は、激動する時代を超越し、天に輝く月のごとくでした。






無言歌

2010年に制作された香港・フランス・ベルギーによる合作映画です。1960年、中華人民共和国の反右派闘争によって、多数の人間が甘粛省の砂漠にある政治犯収容所に送られ、強制労働を強いられました。権力に圧し潰された人々の姿が描かれています。







天安門

1995年にアメリカで制作された映画で、1989年に中国で起きた天安門事件について、膨大な映像取材と、関係者へのインタビューを通じて描いており、天安門事件についての貴重な資料ともなっています。なお、この頃から、ソ連も含めて多くの国で社会主義が崩壊していきましたが、中国では、なお共産党一党独裁が続いています。






名もなきアフリカの地で

2001年にドイツで制作された映画で、ナチスによるユダヤ人迫害を逃れて、アフリカのケニアに逃れた家族の物語で、家族はしだいにアフリカの大地と人々を愛するようになります。大変美しく、感動的な映画です。







さすらいの航海

1976年にドイツで制作された映画で、ユダヤ人迫害が強まるドイツから、海外へ亡命するため千人近いユダヤ人を乗せた客船が出航しますが、各国から受け入れを拒否されて大西洋上をさまよいます。これは1939年に実際に起きた事件に基づいた映画です。







フランス外人部隊 アルジェリアの戦狼たち

2002年にイギリスで制作された映画で、いわゆる「外人部隊」における一人の兵士の葛藤を描いています。外人部隊とか傭兵部隊というのは、正規兵にはできないような、危険で汚い仕事をしますが、それに矛盾を感じる人もいます。映画では、フランスの植民地アルジェリアの独立戦争を背景に描かれています。







2020年12月23日水曜日

「江戸・東京の「地形と経済」の仕組み」を読んで

 

鈴木浩三著 2019年 日本実業出版社

 言うまでもなく江戸は、家康が1590年秀吉の命令で江戸に入ってから、本格的な都市づくりが始まります。秀吉存命中はやや遠慮がちに、秀吉死後は大規模に、江戸の改修が行われました。改修は全国の大名に請け負わせたため、江戸には全国から、大名、家臣、職人、労働者が集まり、全国の物資が集まりました。改修はおよそ70年を要しましたので、ヒト・モノ・カネが全国をかけまわる流通システムが形成され、本書はこうした様子が、大変分かりやすく書かれています。

 私自身は東京に住んだことはありませんが、今までに数えきれないほど東京に行き、今まで何気なく見ていた地名などの背景をしり、本書を大変興味深く読むことができました。

 

2020年12月12日土曜日

「東海道・中山道」を読んで

 新田時也編著 2019年 静岡新聞社

東海道と中山道は、江戸時代に、江戸と京・大坂を結ぶ大動脈であり、多くの旅人がこれらの街道を通って東西に移動しました。本書は、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」や安藤広重の浮世絵などを通して、当時の街道の様子を分かりやすく述べています。ただ、私は、東海道に関する本はすでに何冊も読んでおり、私が読みたかったのは中山道についてだったのですが、本書では中山道についてわすがかしか扱われていませんでした。

中山道は、坂道や足元の悪い道が多く、さらに冬は寒いのですが、東海道も大きな河川の河口近くを通るため、これを渡るのがやっかいでした。私は、中山道というのは、今日の中央自動車道に沿った道だと思っていたのですが、日本橋から北上して埼玉に入り、碓氷峠を越えて長野に入り、ここから先はほぼ現在の中央自動車道に沿っています。ただ、中央自動車道は名古屋に向かいますが、中山道は恵那あたりから関ヶ原に向かい、京・大坂に向かいます。なお、当時東海道は、桑名から鈴鹿山脈を越え草津に至っていました(現在の第二名阪)

 中仙道を通った最も大きな行列は、1861年皇和宮の降嫁で、25日間に及ぶ長旅となりました。当初一行は東海道を通る予定でしたが、神奈川宿周辺で異人との小競り合いがあり、中山道を通ることになったのですが、嫁入り道具は東海道を通ることになりました。中山道の行列は空前の長さで、先頭から最後尾の通過まで、4日要した宿もあったそうです。この大規模道中に要した人足は、延べ6070万人だったとされます。

本書には、しばしば興味深いエピソードが述べられており、ここでその一つを紹介します。当時、「上方」が「上」であるので、上方ら江戸に向かうことを「下る」といっていました。特に上方でも「剣菱酒造」の清酒は良質で有名でした。このように良質の清酒は上方から「下る」ものなので、「下り酒」と呼ばれていました。質の悪いもの、粗悪な商品は江戸に下ることもなく、現代では「下らないもの」の語源となっています。


2020年11月25日水曜日

最近観た映画(1)

 ウォリアークイーン

2003年にイギリスにより制作された映画で、1世紀にイングランドに実在したケルト族の女王ブーディカとローマ軍との戦いを描いています。彼女についてはタキトゥスが記録を残しており、現在ロンドンで戦闘馬車に乗るブーティカを観ることができます。







以前にこのブログに、「映画「虐殺の女王」を観て」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2017/01/blog-post_14.html)を公開しましたが、同じ人物を扱っています。

 




ヴァイキング

2016年のロシア映画で、ロシアの最初の君主となったウラジーミル1世の半生を描いた物語です。同じ時代のロシアについては、「映画でロシア史を観る」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/05/blog-post.html)を参照して下さい。







フューリアス

2018にロシアで制作、13世紀におけるモンゴルの侵入を描いており、ロシア南部は長くモンゴルの支配下に置かれます。同じ頃ロシアは、スウェーデンからも攻撃されます。これについては、「アレクサンドル・ネフスキー~ネヴァ川の戦い」を参照してください。







1900

1976にイタリアで制作、316分にも及ぶ長編です。混迷する20世紀前半を生きた二人の人物の物語です。









ヒトラー最後の代理人





2016年にイスラエルで制作された映画で、アウシュヴィッツ強制収容所ルドルフ・F・ヘスの手記を元に、アウシュヴィッツでの虐殺について語られます。前に見たアイヒマンと同様、命令を実行したにすぎない役人でしたが、アイヒマンにとって虐殺される人々は数字でしかありませんでしたが、ヘスは虐殺に立ち会うたびに、自分の家族のことを考えたと、述べています。






希望の灯り

2018年のドイツで制作された映画で、東西ドイツ統一後の旧東ドイツの人々の心の安定を描いています。









ヴィクトリア女王 最期の秘密

2017年 イギリス アメリカ

晩年のヴィクトリア女王が描かれています。若い時代のヴィクトリア女王については、「ヴィクトリア女王 世紀の愛(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2015/03/blog-post_7.html)







ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋





2011年にイギリスで制作された映画で、イギリス国王エドワード8世とアメリカ人既婚女性ウォリス・シンプソンとのロマンスを、シンプソン夫人に視点をあてて描いています。








レジェンド・オブ・サンダー

2004年にイギリスで制作された映画で、原題は「火薬陰謀事件」で、邦題の意味はよく分かりません。17世紀初頭のイギリス・ステュアート朝初代の君主ジェームズ1世の暗殺未遂事件を扱っています。私はジェームズ1世についてほとんど知識がありませんので、大変参考になりました。

映画は、「火薬陰謀事件」について述べる前に、その前提となる歴史、つまりスコットランド女王メアリーとジェームズの誕生ついて述べます。メアリーについては、「映画「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」を観て」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2020/08/blog-post_70.html)を参照して下さい。ジェームズ1世は、エリザベス女王の死後イングランド国王となりましたが、イングランドも宗教対立が激しく、そうした中でカトリック教徒によりこの事件が引き起こされます。事件は未遂に終わりましたが、その後のイングランドは、ピューリタン革命や名誉革命など苦難の時代を経験し、18世紀になってようやく新しいイギリスが形成されることになります。

 この映画は、特によくできた映画だとは思いませんが、私の知識の空白部分を埋めてくました。

スエズ

 1938年にアメリカで制作された映画で、フランス人レセップスによるスエズ運河の建設が描かれています。スエズ運河の開削が空前の大工事だったことは言うまでもありませんが、映画では工事の過程より、資金調達や外交的な駆け引きを中心に描かれます。とくにスエズ運河は地政学的に重要な意味をもちますので、これに利害関係をもつ国々との交渉はかなり厄介で、大変興味深く観ることができました。なお、映画ではフランス皇帝ナポレオン3世の皇妃ユージェニーとレセップスとのロマンスが語られますが、こうしたことが実際にあったのかどうか、私は知りません。


2020年11月15日日曜日

時代劇を観て

 幕末太陽傳

 1957年に制作された映画で、かつて品川に実在した遊女屋である相模屋を舞台としたドタバタ喜劇で、日本映画史上で傑作の一つに数えられている映画です。幕末の動乱の中にあって、逞しく生きる町人の姿が描かれています。







たそがれ清兵衛

2002年に、山田洋次監督によって制作された映画で、原作は藤沢周平です。映画では、幕末におけるある(架空の)藩の下級武士の悲哀が描かれており、低迷する時代劇および日本映画の中で高い評価を得た作品です。







殿、利息でござる

2016年に制作された映画で、18世紀の仙台藩吉岡宿での宿場町の窮状を救った町人達の記録です。彼らの構想は、1000両という大金を8年かけて捻出し、その金を仙台藩に貸付けて、その利子で宿場を運営するというもので、その計画は1773年頃に成就されました。






サムライマラソン

2019年に制作された映画で、「安政遠足(あんせいとおあし)」と呼ばれる史実を描いています。幕末期に今日の群馬県ある小藩安中藩で行われた、今日風に言えばマラソン大会の顛末が、コミカルに描かれています。







武士の献立

2013年に制作された映画で、江戸時代における加賀料理の発展について述べています。加賀藩は百万石の大藩なので、将軍や他の大名への供応が多く、料理担当の武士たちもたくさんいました。映画では、料理担当の一人の武士が、抜群の味覚をもつ妻の協力を得て、加賀料理を発展させていきます。






天心

2013年に制作されて映画で、西洋美術が隆盛するなかで、日本美術の保護に生涯をかけた岡倉天心の生涯を描いています。国内の日本美術を保護し、日本画の画学生を指導し、多くの著書を著して、日本の美術を世界に伝えました。岡倉天心の、こえしたバイタリティあふれる生涯を描いています。












2020年11月4日水曜日

「東海の神々を開く」を読んで

 

森浩一など著 2009年 風媒介社

 本書は、東海の神社に祀られる神々や、東海の考古学的研究を扱った専門書で、私にはほとんど理解できませんので、私が関心のある部分だけをつまみ食いしました。

 日本における神社の数は数えきれないでしょう。私が住む小さな町にも、8か所も神社があります。これら多くの神社で祀られる神々は多様です。一般に多いのは、建国神話に関わる神々で、出雲大社、伊勢神宮、熱田神宮などです。その他に、古代の氏族の伝承に関わる神々が祀られていることが多いようです。また、それ以外に、それぞれの地方に伝わる伝承に関わる神々も祀られます。

 美濃や飛騨に広く伝わる「サエノカミ」という伝承があります。「相手を求めがたいほどの美男と美女の兄妹が、それぞれに、ふさわしい連れ合いを探すために分かれて旅に出た。時を経て、お互いの心に叶う相手を得てむつまじくなったものの、身の上話をするに至り、かつて、別れ別れに旅に出た兄妹であることを知った。そして、道ならぬ夜を過ごしたことをはかなんで命を絶った。」これを哀れんだ村人が、供養のために像を創りました。従って、サエノカミの像は双体像が多いそうです。

 津島神社には、牛頭天王が祀られています(表紙の写真参照)。この神がインドから仏教とともに耐えられたのは間違いないようですが、それがどのようにして人々に受け入れられていったのか分かりませんが、今日厄除けの神として多くの参拝者を集めており、また建国神話スサノウとも結びついているようです。

2020年10月25日日曜日

北朝鮮の映画を観て

  朝鮮は、日本統治時代から映画制作が盛んで、日本で学んだ映画人たちが、多くの映画を制作していました。朝鮮戦争後も、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)国内に多くの映画館が建設され、映画は大衆娯楽としておおいに発展しました。特に1960年代後半になると、独裁者金日成(キム・イルソン)の後継者金正日が映画界の改革を行い、ソ連や西欧から現代的な映画製作設備を導入し、映画の社会的地位を高めました。1980年代に入っても、日本や香港などとの合作を進め、国際的な映画祭にも出品しました。

 今日では想像しにくいかもしれませんが、この頃までの北朝鮮は、経済的にも政治的にも韓国より安定しており、余裕をもって文化政策を行うことが可能でした。しかし、やがて北朝鮮の社会主義経済は停滞に向かい、1990年代における金日成の死去後、金正日が政治権力を継承しますが、北朝鮮の経済状況は悪化し、国際的にも孤立が進みました。そうした中で、映画も政府のプロパガンダに利用され、金正恩の時代には映画の制作本数が激減することになります。

ここで紹介する映画は、1970年代から80年代に制作された映画で、比較的よい品質が保たれています。













 1979に制作された映画で、1909年、朝鮮の民族主義者安重根(アン・ジュングン)による伊藤博文暗殺事件を題材としています。

 1905年に日露戦争に勝利して以降、日本は伊藤博文を中心に露骨な朝鮮侵略政策を推進します。伊藤博文は、日本では明治の元勲ですが、朝鮮にとっては諸悪の根源とでもいう存在でした。これにたいして朝鮮での反日闘争は高まり、両班階級出身の安重根もこれに身を投じますが、日本による弾圧は凄まじく、やがて元凶である伊藤博文を殺さなければ、事態は改善されないと考えるようになります。言い換えれば、伊藤博文さえ殺せば、朝鮮は独立できる、と考えたわけです。

 映画は、日露戦争終結から伊藤暗殺に至るまでを、伊藤と安重根を交互に登場させながら、事件の推移を追います。多少話の繋がりは悪いですが、それでも客観的に事実を追っています。また、映画ではしばしば朝鮮の美しい景色が映し出され、さらに美しい歌も挿入されており、まるで日本の古い映画を観ているようでした。

 当時日本人は安重根を「不逞鮮人」と呼びましたが、映画は最後に彼を「民族の英雄」と呼びます。ただし、映画は、彼のテロリズムは間違っており、このような方法では民族の独立は達成できないこと、そして民族の独立を可能にするのは、祖国光復会(金日成による創設)の活動を待たねばならい、主張しています。これが、この映画における唯一のプロパガンダでした。

 

 1972年に制作された映画で、金正日(キム・ジョンイル)が指揮して制作されたそうです。貧しい農民の娘に次々と不幸が襲い掛かり、それに耐えていく物語で、これでもか、これでもか、というほどの不幸の連続で、正直なところ、うんざりしてきました。

 映画では、地主の横暴が彼女の不幸のもとですが、その背景には日本による資本主義経済の導入と搾取があったことは、言うまでもありません。これは当時の世界的な現象で、この時代の日本でさえ、「おしん」が貧困に喘いでいました。

 結局この映画も、金日成が率いるゲリラが唯一の救いとなる、という物語です。映画は全体として冗長でしたが、時々ハッとするような美しい場面が映し出され、優れた映像技術を感じさせました。