2017年10月14日土曜日

映画「エクソダス」を観て

2014年にアメリカで制作された映画で、「エクソダス」とは旧約聖書の「出エジプト記」(大量脱出)のことです。「出エジプト記」はモーセに率いられたヘブライ人がエジプトから脱出するという物語で、これについては、このブログの「映画で聖書を観る 十戒」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/04/blog-post_3082.html)で詳しく述べました。どちらの映画も、「出エジプト記」をベースにしているため、内容的にはほとんど同じです。
 この映画で少し気になったのは、モーセに神の声を伝えたのが一人の少年だったという点です。この少年が神自身なのか、天使なのか分かりませんが、かなり不気味な少年で、神の厳しい意志を冷酷にモーセに伝えます。また、「出エジプト記」で語られる数々の奇跡については、科学的な説明も可能なように描かれています。たとえば、ナイル川が赤く染まることはしばしば見られる現象だし、イナゴの大群の襲撃や疫病もよくあることです。一番問題となるのは海が割れたということですが、これも引き潮として説明されます。
 しかしモーセの実在や出エジプトという事件については疑う人が多いようです。古代エジプト人はなんでも丹念に記録する傾向があり、何十万人もの人々が脱出した大事件の記録が残っていないのは不自然です。したがって、真偽のはっきりしない事件を科学的に説明する試みは陳腐であり、「出エジプト記」の記述をそのまま再現すればよいように思います。それを信じるか信じないかは、その人の信仰の問題だと思います。

 なお、3Dを駆使した映像は見ごたえがあり、人種的偏見や聖書の解釈について多くの批判が出されたようですが、聖書映画にはこの種の批判はつきもので、娯楽映画としては十分楽しむことができました。



2017年10月11日水曜日

「中国に賭けた青春」を読んで

ニム・ウェールズ(ヘレン・フォスター・スノウ)著、1984年 春名徹・入江曜子訳
岩波書店(1991)

 著者は、「中国の赤い星」で知られるエドガー・スノーの夫人(1932~49)だった人物で、夫とともに中国で取材活動を行うとともに、著述活動にも励みます。本書は、1931年に中国に訪れ、1940年、太平洋戦争が始まる直前に帰国するまでの、中国での彼女の生活を描いたものです。彼女が中国に滞在していたのとほぼ同じ時代に、パール・バック(映画「大地」を観て http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2015/07/blog-post_1.html)やスメドレーが(「偉大なる道 上下」を読んで」http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2016/04/blog-post_20.html)が活躍していました。

 彼女が中国についたのは彼女が23歳の時で、翌年にはエドガー・スノーと結婚しますので、ジャーナリストとしての修行はまだ始まったばかりです。この時代の中国は日本の満州侵略と国民党と共産党との対立の時代でしたが、当初彼女は中国についての理解も浅く、女性らしい視点で彼女の周囲に起こっていることを描いていました。しかし夫が共産党の拠点である延安で取材し、「中国の赤い星」の執筆を始めると、彼女も全面的に協力し、本書でもその過程が描かれています。また当時知り合った朝鮮人革命家キム・サンの生涯を描いた「アリランの歌」も執筆し、彼女もまたジャーナリスト・作家としての地位を築いていきます。それとともに、彼女は反ファシズムの学生運動にものめり込んでいきます。
 結局、彼女は失意のうちに中国を離れ、夫との共通の接点だった中国を失ったとき、夫との関係も破綻し、1949年に離婚します。その後彼女は、文化大革命後の中国を何度も訪れ、多くの人々と交流し、77歳の時に青春時代の思い出として本書を出版しました。


なお、エドガー・スノーの処女作「極東戦線」が私の書棚に紛れ込んでいました。本書を買ったことをすっかり忘れていました。本書は日本の満州侵略を描いたルポルタージュで、内容的には今日ではよく知られていることですが、文章にはさすがに迫力があります。


















2017年10月7日土曜日

映画「ファイヤーハート 怒れる戦士」を観て

2011年にリトアニアで制作された映画で、19世紀後半にリトアニアで活躍した、実在したとされる反逆者タダス・ブリンダを描いています。原題は、直訳すれば「始まり」です。少なくとも、この写真に示されているような場面は、映画にはありません。











リトアニアはバルト三国の一つで、1990年にソ連邦から独立し、ソ連邦崩壊のきっかけとなった国の一つです。リトアニアは、13世紀に大公国が成立して以降急速に成長し、ポーランドと同君連合を結成し、14世紀末にはバルト海から黒海に至る広大な地域を支配するようになります。しかし、15世紀末にロシアでモスクワ大公国が台頭すると、リトアニアはポーランドへの従属を強め、18世紀末にポーランドが分割される過程で、リトアニアはロシア領となります。19世紀にロシアは、ポーランドやリトアニアに対して徹底した同化政策を行ったため、両国は1831年と1863年に反乱を起こします。そして映画の舞台となったのは、1863年におけるリトアニアでの反乱の背景です。
 当時のリトアニアやポーランドは自立性の高い領主が農奴を支配し、過酷な収奪を行っていました。またリトアニアにはポーランド人の領主もおり、彼らを通してロシアはリトアニアを支配していました。そして彼らはロシアの後ろ盾で自らの利権を維持していました。それに対して、タダス・ブリンダのような若者が、ロシア軍や領主を襲ったりしていました。こうした中で、1861年にロシア皇帝アレクサンドル2世は、農奴解放令を発布します。それは、リトアニアやポーランドを含むロシア領に適用されることになりますが、これに対して農奴は喜びますが、領主は不満で、両者の対立が顕在化します。結局農奴解放令は、リトアニアとロシアの対立ではなく、リトアニア内部の対立になってしまい、タダス・ブリンダたちは理念のないただの山賊でしかありませんでした。
 そうした中で、あるリトアニアの領主が、自分の土地を農奴に与えるので、リトアニアの大地のためにロシアと戦えと、タダスに説得し、彼は初めてリトアニア人としてのアイデンティティをもつようになります。これが、ロシアに対する反逆の「始まり」です。映画はここで終わっていますが、1863年に農奴に対して土地も解放されるのですが、この解放は有償であったため、農奴の生活は前よりひどくなったとされます。そのため、この頃からロシア、ポーランド、リトアニアなどで農民反乱が頻発し、この反乱にはタダスも加わっていたはずです。
第一次世界大戦末期の1918年にリトアニアは独立を宣言しますが、第二次世界大戦中の1940年にソ連軍に占領され、第二次世界大戦後にはソ連邦に編入されることになります。そして1990年、ソ連のペレストロイカの影響を受けて独立を宣言し、NATOEUにも加盟するなど、比較的安定した国造りが進んでいますが、意外にもリトアニアでは自殺と殺人事件が多いことでも知られています。その理由は、リトアニア国民としてのアイデンティティが十分に形成されておらず、精神的に不安定な人が多いからではないかとされています。
 映画は内容が複雑で、理解するのに苦労しました。主人公はちょっとドジで、それほど英雄的な人物ではありません。ただ、一人の農奴だった男が、どのようにしてリトアニア人としての自覚を形成していったのかということが、描かれているように思いました。




2017年10月4日水曜日

「歴史を運んだ船」を読んで

茂在乕男著 1984年 東海大学出版会
 本書はまず、「古事記」や「日本書紀」に記されている船に関する記述を抜き出し、それらの言葉のルーツを求め、それらの言葉が南方のポリネシア語に由来していることを提起します。古事記や日本書紀は当然漢字で書かれており、われわれは当然その漢字の意味を考えようとします。しかし南方系の言葉の場合、よく似た音の漢字を当て字として使い、この場合漢字の意味はほとんどありません。例えば、「軽野」とか「枯野」と記される船は、ポリネシア語のカヌーあるいはカノーの当て字ではないか推測します。また、神武天皇の東征の際に記されている「天の盤船(アマのイワフネ)」は「アウトリガー」ではないかと推測します。
 日本人のルーツはどこにあるのか、こうした疑問に対して、従来は北方系説が有力でしたが、最近では南方系も有力になっているようで、結局北方系、南方系などが混じって、日本人の祖先が形成されたと思われます。

 著者は東京商船大学の出身で、歴史家である以前に、船の愛する人であり、筆者が船について語るとき、いつも情熱がこもっているように思われました。もちろん、本書が執筆されたのは、30年以上も前で、この間に水中考古学も飛躍的に発展し、日本語への古代ポリネシア語の影響についての研究も進みましたので、本書の内容は少し古いかもしれませんが、そんなこととは関係なく、本書は非常に面白い本でした。

2017年9月30日土曜日

映画「ダイダロス 希望の大地」を観て

2012年にカザフスタンで制作された映画で、18世紀初頭、東から侵入してくるジュンガルとの戦いを描いています。この映画とほぼ同じ時代のカザフスタンを描いた「レッド・ウォリアー」(2005年、フランス・カザフスタン合作)という映画がありますが、私は観ていません。なお、映画に登場するサルタイは実在した人物で、戦闘も史実に基づいているそうです。

それにしても、邦題の「ダイダロス」というのは、全然意味が分かりません。 ダイダロスは、ギリシア神話に出てくる職人・発明家で、性格はあまりよくなかったようです。彼にはイカロスという子供がおり、ダイダロスはイカロスのために蝋で翼を作ってやります。イカロスはその翼で太陽にまで昇ろうとしたため、太陽の熱で翼が溶けて墜落した、という話です。この物語は、技術への過信と人間の傲慢さを諭すという教訓物語ですが、この映画と重なるものは何もありません。もしかすると、日本の「勇気一つを友にして」という楽曲がネタなのかもしれません。この歌は、ダイダロスとイカロスの物語を歌い、最後に太陽に向かったイカロスのように勇気をもとうというという話で、本来のダイダロス・イカロスの話とは真逆の話です。なお、この映画の原題は「草原の戦士たち」です。











まず、この映画の舞台であるカザフスタンについて、少し述べておきたいと思います。カザフ草原はモンゴルからロシア南部に至る草原の道=ステップ・ロードに位置し、古くから交易の場であるとともに、遊牧民族の活動の場でもありました。古くから多くの遊牧民がここで生活し、時には大きな勢力に支配されもしました。15世紀末にカザフ・ハン国がこの地方を統一し、16世紀には大きな勢力に成長して繁栄しました。それはヨーロッパが大航海時代に入ろうとしていた時代でした。しかし、18世紀にはいるとカザフ・ハン国は政治的に分裂し、さらに東方からジュンガルの攻撃にさらされることになります。




 ジュンガルの歴史も15世紀に遡りますが、ここではこの物語に直接関係する部分のみにとどめたいと思います。17世紀、中国では明が滅び、清が成立しますが、この中国での混乱の間隙をぬうように、ジュンガルは成長していきます。この時代にはジュンガルはオイラートと呼ばれていましたが、チベットを征服し、さらにトルキスタンに進出し、この頃からオイラートは左翼(東方)という意味でジュンガルと呼ばれるようになりました。そして、さらに西へ進んで、ガザン・ハン国と対立するようになったわけです。当時、ジュンガルはロシアと盛んに交易を行い、大砲などの火器を手に入れると同時に、製鉄所など近代的な工業も起こしつつありました。政治的に分裂していたガザンハン国は、ジュンガルに太刀打ちできませんでした。
 主人公のサルタイは、7歳の時にジュンガル軍により両親を殺され、孤児となります。やがてサルタイは立派な青年に成長し、孤児たちを集めてジュンガル軍を襲い、さらにジュンガルの要塞を攻撃して名声を高めます。こうした中で、カザフスタンの諸部族が珍しく結束してジュンガル軍と決戦をすることになりました。しかしジュンガル軍は大軍であり、しかも火器をもっていましたので、カザフ軍は苦戦します。そうした中で、サルタイが率いる100人ほどの孤児の一隊がジュンガル軍の本陣を急襲し、ジュンガル軍は撤退を余儀なくされます。カザフ軍は、今までさんざん苦しめられてきたジュンガル軍に勝ったのです。この戦いでサルタイは壮絶な戦死をとげますが、映画では、この間に恋あり、友人の裏切りあり、そして草原で暮らす遊牧民の姿が描き出されます。
 映画はここで終わりますが、これでハッピーエンドとなったわけではありません。その後もジュンガルの攻撃を受け続けたガザンハン国はロシアに保護を求め、結局ロシアの支配下にはいることになります。ロシア革命後、カザフスタンはロシア連邦に組み込まれますが、1991年にロシア連邦が解体すると独立を宣言することになります。そして現在のカザフスタンでは、この時以来ナザルバエフ大統領とその一族による独裁体制が続いています。一方、ジュンガル帝国は中国支配を確立した清の攻撃を受け、18世紀半ばに滅亡するとともに、清軍によってもたらされた天然痘の蔓延により、ジュンガルの人々はほぼ絶滅したとされ、彼らが支配した地域は現在の新疆ウイグル自治区に組み込まれています。
 そして映画の最後で、「カザフスタンが独立国家となったのはこの戦闘から約300年の後で、ナザルバエフ大統領が長年の夢を叶えた形となった」という字幕が流れます。これを観て、なんだ! 独裁者の宣伝映画かと、白けてしまいましたが、これさえなければ、よくできた映画だと思います。
 なお、映画ではカザフ語が用いられていましたが、カザフスタンではロシアによる長い支配の間にロシア語が普及し、カザフ語を理解できない人が多くなってきているようです。



2017年9月27日水曜日

「監視下の歴史」を読んで

マルク・フェロー著 1985年 大野一道・山辺雅彦訳 新評論(1987)

 歴史学は常に国家あるいは社会の監視下に置かれ、そのもとで歴史意識が形成されます。こうして形成された歴史意識の基に「歴史」が書かれ、それが子供たちに教えられ、監視下の「歴史」が再生産されていきます。著者は、本書に先立って「新しい世界史 世界で子供たちに歴史はどう語られているか」(1981年 大野一道訳 藤原書店(2001))を執筆し、世界各地でいかに「監視下の歴史」が語られているかを述べています。








歴史家は、いかにしたらこの様な監視から自由でいられるのか、子供たちにどのように歴史を教えたらよいのか、これが本書のテーマであり、それは私自身にとっても永遠のテーマでもありましたが、私自身はこの問題を解決することができませんでした。本書で著者は、様々な歴史研究・叙述の例を検証し、どれも監視から自由ではないと論証します。アナール学派の人々は、監視から自由で客観的であるために、さまざまな方法を試み、著者自身アナール学派の指導者の一人でした。彼らの試行錯誤の結果、従来認められていた歴史的な大事件ではなく、監視の目が届かない小さく地域的な問題への研究が進み、一見歴史がバラバラになってしまうように思われました。
 伝統的な歴史学は重要な事件を扱い、そのため彼らが重要でないと見なした歴史を切り捨ててきました。しかし「ありふれた出来事」は、非=事件でも偶発事でもなく、意味や興味を欠いたものでもない。こうした物語を積み重ねていくと、伝統的な歴史学の解釈に重大な疑念が発生してきます。以前に紹介した「チーズとうじ虫」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/01/blog-post_8234.html)を読んだ後、宗教改革と反宗教改革についての私の考えはまったく変わってしまいました。そして私は、「チーズとうじ虫」が扱う小さな事件の中に、世界史を観たように感じました。
 歴史をどのように教えるのかについて、私は答えを出すことができませんでした。ただ、たまたま私が知った二人の世界史教師の「教え方」を紹介したいと思います。ただし、私自身は二人の先生との面識はなく、これらの先生の教えを受けた生徒たちかから聞いただけです。一人は関西の先生で、一年間古代ギリシアのみを教えており、したがってその生徒たちは受験に必要な知識を全くもっていませんでした。ところが予備校での授業を受けると、彼らはたちまち学力をつけていきます。あたかも、知識はなくても歴史とは何かを理解しているがごとくでした。もう一人は愛知の先生で、逆に、受験に必要とは思われないような知識まで徹底的に暗記させる先生でした。いくら受験とはいえ、脈絡のない知識だけで問題を解くことはできません。ところが、彼らもまた予備校での授業を受けると、脈絡もなく暗記した知識がたちまち一つに結びつき、一気に学力をつけていきます。
 この二つの例はかなり極端なケースですが、この相反する二つの手法は、本書の著者が述べる「ありふれた出来事」の発掘と伝統的な歴史学との関係に似ているように感じました。一方は、古代ギリシアという、生徒にとって小さな世界を学ばせることで世界史を理解する力を与え、もう一方は、重要な出来事も重要でない出来事も徹底的に暗記させ、後は自分で考えさせるというものです。どちらが良いのか私には分かりませんが、私はこの中間の道を模索し続けたように思います。結局私は道半ばで倒れましたが、退職して以降も、このブログを通して答えを模索し続けているように思います。このブログでは、最初に「グローバル・ヒストリー」という一つの枠組みを提示し、その後は、主に映画を通じて「小さな世界」を発掘しています。

 本書はかなり難解で、私自身十分に理解できておらず、内容が支離滅裂となってしまいました。ただ、この難解な本書の最後で述べられている言葉は、非常に印象的でした。
 「四歳の孫娘ソアジクに、私は根気よくヴェルサンジェトリックス(古代ガリアの英雄)やカピトリウム丘の鵞鳥(古代ローマの伝説)について語る。一語一句も変えない。変えると抗議される。根気よく孫娘は耳を傾ける……。後にもっと大きくなれば、同じ話の少し違った形を教えたり、いろいろな物語を比較したり、証言を分析したりして歴史を作る作業に加わってもよいだろう。まず保存し、次に理解される。これが歴史家の二重の役割なのだ。」


2017年9月23日土曜日

ポケット一杯の涙

1993年にアフリカ系アメリカ人で、双子の兄弟の監督によって制作された映画で、ロサンゼルスのスラム街における黒人青年たちの生活を描いています。アメリカにおける黒人=アフリカ系アメリカ人については、このブログで映画や書籍を通じて何度も述べてきましたので、ここでは深入りしません。ここでは、映画の舞台となったロサンゼルスを中心に述べたいと思います。なお、邦題の「ポケットいっぱいの涙」というのは、この映画の内容にそぐわないような気がします。この映画は「お涙ちょうだい」の映画ではありません。原題はManacesocietyですが、意味がよくわかりません。この映画の主題歌Straight up menaceは、「マジな、ならず者」というような意味らしく、若者がよく使うスラング(俗語)のようです。
ロサンゼルスは、サンフランシスコと並ぶアメリカ西海岸にある大都市で、日本ではハリウッドのある都市として知られています。この地域は降雨量が少ないため映画の撮影に好都合で、ニューヨークのユダヤ系映画会社の多くがここに引っ越したのだそうです。一方、ロサンゼルスは民族構成が複雑な都市として知られています。まず、19世紀半ばまでこの地域はスペイン・メキシコの領土でしたので、スペイン系・ラテン系の住民が多く、さらに太平洋を越えてアジア系の労働者が多数入り込みます。その中には日本人も多数含まれており、彼らが集中して住むようになった地域はリトル・トーキョーと呼ばれるようになりました。また、韓国人の移民も多く、この韓国系移民とアフリカ系アメリカ人との対立が、この物語の出発点となります。
韓国人の移民が急増するのは、韓国でパクチョンヒ(朴正熙)が権力を握っていた時代(1960~70年代)でした。パクチョンヒはアメリカから経済援助を得るため、ベトナム戦争に韓国軍を派遣し、それとともにアメリカは韓国人のアメリカ移民の枠を拡大します。その結果、朝鮮戦争再燃への不安や独裁政権への不満を持つ多くの人々が、アメリカに移住しました。彼ら韓国系移民が他のアジア系移民と異なるのは、彼らは低賃金労働者としての移民ではなく、ある程度の貯蓄をもった人々で、彼らはアメリカ各地にコリア・タウンを形成し、その資金で商店を開業したりしました。ロサンゼルスでは、彼らは黒人地域であるワッツ地域で商店を買って商売をしますが、店を閉めると厳重に戸締りしてコリア・タウンに帰っていきます。なぜか知りませんが、韓国系アメリカ人は黒人に対する差別意識が異常に強く、黒人の側からすれば、自分たちのところで稼いでいるくせに自分たちを差別する韓国系アメリカ人に強い不快感をもっており、これが事件の発端となります。映画の冒頭で、韓国系の商店主が客である黒人を横柄に扱い、腹を立てた黒人が商店主夫妻を殺害する場面が描かれますが、こうした事件はあまり珍しくないようです。
一方、警察官は人種差別丸出しで、1965年に公民権運動が高まっていたことから、ワッツ地区で暴動が発生しました。暴動自体は鎮圧されましたが、差別や貧困の問題は何一つ解決されず、麻薬・暴力・殺人・ストリート・ギャングの横行など、ワッツ地区は無法状態となってしまいます。そこに韓国系アメリカ人が大量に流入したため、問題がさらに複雑になります。そして1992年に、いわゆるロサンゼルス暴動が起きます。前年から、白人警官による黒人に対する暴行、韓国系アメリカ人による黒人少女の射殺、そして白人のみの陪審員によるこれら犯人の無罪評決といった一連の事件を経て、不満を募らせた黒人たちが暴徒と化しました。暴動の鎮圧のために州兵だけでなく連邦軍も投入されましたが、今回政府はFBIによる事件の再捜査を約束し、暴動は終息しました。
この映画は、ロサンゼルス暴動の翌年に制作されました。映画には暴動の話などは描かれておらず、ただワッツ地区における一人の青年の日常を描いているだけです。主人公ケインの父親は麻薬売買の争いで殺され、母親は麻薬の過剰摂取で死亡しました。彼は祖父に育てられ、なんとか高校を卒業することができました。この地区では、高校を卒業するだけでも大変なことで、卒業する前に逮捕されたり、殺されたりする者が多く、卒業できるのは半分くらいだそうです。高校を卒業したとはいえ、就職するわけでもなく、街をほっつき歩き、麻薬を売買し、喧嘩をし、時にはストリート・ギャングを行う、といった生活をしていました。そこには将来への展望は何もなく、このままでは逮捕されて刑務所に入るか、遠からず殺されるかです。
こうした中でケインも、周囲の人からの説得もあり、街を出る決心をします。そして街を出る直前にギャングの抗争に巻き込まれたケインは死に、映画は終わります。ここで描かれていることは、悲しい特別な物語ではなく、これがこの地区の日常であるということであり、彼ら黒人の無知を非難することもできるし、このような社会を抱えるアメリカ社会の矛盾を痛感することもできます。この映画は、そうした映画だと思います。