2018年8月8日水曜日

「消去」を読んで

リティ・パニュ+バタイユ著、2012年、中村富美子訳、現代企画室、2014
 1975年にサイゴンが陥落し、アメリカ軍がヴェトナムから撤退しました。カンボジアでも、同年左派のクメール・ルージュがプノンペンを制圧し、民主カンプチア政府を樹立します。そして4年間の間に百万人前後の人びとを、病気・飢餓・虐殺などで死に追いやります。なお殺された人数については諸説あり、ここでは深入りしません。
 著者は、13歳の時に両親や兄弟とともに強制労働に追いやられ、S21という収容所で暮らします。そこにはドッチという所長がおり、彼によって多くの人々が拷問され、殺されました。この間に両親も兄弟も死にましたが、運よく彼は生き延び、フランスに渡り、やがてそこで映画製作に携わります。そして「S21 クメール・ルージュの虐殺者たち」で注目されます。さらに、すでに逮捕され裁判を受けていたドッチに面会し、何百時間もの面談を行い、その結果生まれたのが本書です。
 著者はドッチに合うのが非常に苦痛でしたが、彼はこれを「トラウマ」というありきたりの言葉で述べることを嫌います。「私の場合は終わりのない悲しみだ。それは拭い去れないイマージュ、あまりに辛い仕打ち、私を苛む沈黙だ」と述べます。それにもかかわらず、彼はドッチに問い続けます。「あなたのようなインテリが、なぜあのようなことをしたのか」「あなたは夢を見ることがあるか」
 ある時著者は、50のスローガンをドッチに見せ、どれか一つを選ばせます。彼が選んだのは、「お前を残しておいても何の得もない。お前を消しても何も失わない。」で、さらに付け加えます。「もっと重要なスローガンがあるのをお忘れだ。『借りた血は、血で返せ』ですよ。私は驚いた。「なぜ、もっとイデオロギー的スローガンではなく、それを?」ドッチは私を見据えた。「リティさん、クメール・ルージュとは消去です。人間には何の権利もありません。」
これが、かつて世界中の知識人たちが称賛したクメール・ルージュの革命の実像だったのかもしれません。
リティ・パニュ                 ドッチ    



2018年8月4日土曜日

アシュラ


1993年にインドで制作された映画で、170分の大作です。今まで私が観てきたインド映画は、歌とダンスをふんだんに盛り込んだ、明るく楽しい映画が多かったのですが、この映画は復讐物語という異色の映画です。

主人公のシヴァニーはスチュワーデス(客室乗務員・キャビンアテンダント)で、すでに恋人がおり、結婚も決まっていました。ところが、大金持の息子ヴィジャイが、空港でシヴァニーを見初めたことから、彼女の不幸が始まります。彼は、子供の時から欲しいものは何でも手に入れようとしてきました。「ママ、あの星を僕にちょうだい」というのが、彼の口癖でした。彼はあらゆる方法を使って彼女に付きまとい、彼女が結婚した後も夫を事業に誘い込み、結局夫は彼によって殺害されてしまいます。彼女自身も無実の罪で投獄され、やがて子供も胎児も死に、すべてを失った彼女は、復讐のみを生き甲斐とするようになります。
映画の最初の3分の1は、ムトゥのような陽気な楽しい物語です。ところが次の3分の1は、ヴィジャイの企みによりさまざまな困難が生じ、彼女は地獄へとおちていきます。そして最後の3分の1が、復讐の物語です。復讐はヒンドゥー教の女神ドゥルガーの信仰と結びつきます。ドゥルガーは、外見は優美で美しいのですが、実際は恐るべき戦いの女神で、3つの目を持ち、10本あるいは18本の腕にそれぞれ神授の武器を持ち、虎もしくはライオンに乗る姿で描かれるそうです。シヴァニーは、あたかもドゥルガーの化身のごとく、復讐を果たしていきます。
また、この映画ではインドにおける女性の地位の低さが問題とされます。女性が財産のように取り引きされたり、夫への絶対的な服従が強制されることなどが、問題となっています。もちろん、こうしたことは世界各地の前近代社会でしばしば認められることで、教育の普及や中流階級の増加とともに、減少してきてはいますが、なお一部に強く残っています。シヴァニーは言います。女は「涙を流すから弱くなる」、「女は我慢するから虐げられる」と。映画は、インドになお残る女性蔑視の問題を取り上げているように思います。
ところで、この映画の日本語版タイトル「地獄曼荼羅 アシュラ」、さらにサブタイトル「女・神・発・狂」は、単に恐ろし気な単語を並べているだけです。「曼荼羅」は密教の世界観を示したもので、別に恐ろしくはありません。アシュラ(阿修羅)あるいは修羅はヒンドゥー教の戦いの神であり、修羅場などといった言葉もあるので、一応適合していますが、映画ではドゥルガーという戦いの女神が登場するので、ここでアシュラを用いるのは不自然です。サブタイトルの「女・神・発・狂」に至っては、意味のよく分からない単語に「・」を入れて意味ありげにしているだけです。この映画の原題は、「成り行き」とか「結果」を意味するヒンディー語だそうです。DVDのジャケットも左側は日本で考案されたもので、右側がインド版です。
 
 私は今まで外国映画の日本語版タイトルについて、何度も非難してきました。確かにあまりにひどいタイトルが多いのは事実ですが、結局私はそのタイトルに引かれてその映画を観、結果的にタイトルからは予想もできない名画に出会うこともしばしばでした。例えばこの映画の原題は「成り行き」ですが、この原題のままであれば、私はこの映画を観なかったかもしれません。時には、この邦題をつけた人は映画を観ていないのではないかと思うこともありますが、彼は多分映画を観ており、承知の上でその邦題を用いたのだと思います。また、中には原題より良いと思われる邦題もあります。だから、私はこれからも邦題を批判しますが、それでもそのひどい邦題を許そうと思います。その邦題のおかげで、私はその映画に出会えたからです。

ウイキペディアによれば、インドでは2003年には877本の長編映画と1177本の短編映画が制作されたそうで、まさにインドは映画大国です。映画制作の中心はボンベイ(ムンバイ)だそうで、ハリウッドをもじって「ボリウッド」という造語まで生まれているそうです。日本でも膨大なインド映画のほんの一部が公開され、根強いインド映画ファンもいるそうです。私もインド映画を観たいのですが、レンタル・ビデオ店ではあまり手に入りません。こうした映画を比較的多く扱っていたレンタル・ビデオ店が近所にあったのですが、閉店してしまいました。今は旧作ビデオの場合レンタル料が100円であり、さらにシルバー割引があって、私は50円で借りています。これでは、人件費も払えないのではないかと思います。一方、最近ではネットによる「見放題」が普及しており、レンタル・ビデオの時代は終わったのかもしれません。


2018年8月1日水曜日

「赤い大公」を読んで


ティモシー・スナイダー著 2008年 池田年穂訳 慶応義塾大学出版会 2014
 本書の主人公はハプスブルク家の大公ヴィルヘルムで、彼はウクライナを愛し、ウクライナの君主になることを望み、民衆のための社会革命を提唱して「赤い大公」と呼ばれました。本書は、2004年にウクライナでの民主化運動であるオレンジ革命を念頭において、ウクライナの建設に、このハプスブルク家の大公がどのように関わったかを描こうとしているようです。
しかしヴィルヘルムの夢は、二度の世界大戦、ハプスブルク帝国の崩壊、ソ連とナチスという全体主義の台頭、米ソ冷戦という現実の中で消えていきます。この過程で彼は、社会主義的な王朝国家の建設を提唱したり、パリで享楽的な生活をしたり、ナチスやソ連のスパイをしたり、そして冷戦が激化していく中で、彼はウィーでソ連軍により逮捕され、1948年にキエフの獄舎で死亡します。私には、彼の行動のすべてが時代錯誤的で、滑稽に思われてなりません。ウクライナについては、このブログの「映画でロシア史を観る 「隊長ブーリバ」」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/05/blog-post.html)を参照して下さい。
本書は、小説風に描かれます。「むかしむかし、マリア・クリスチーナという愛らしいお姫様がお城に住んでいました。お城でお姫様は、終わりから遡って始まりまでという風な読書の仕方をしていました。そこへナチスがやってきました。その後にはスターリニストたちがやってきました。この本はお姫様の家族の物語です。だからこの本は終わりから始めるとしましょう。」このお姫様はヴィルヘルムの姪であり、この物語はヴィルヘルムの獄死から始まります。

2018年7月28日土曜日

インド映画「ラガーン」を観て

2001年にインドで制作された映画で、224分という大作です。映画の舞台は、イギリスの植民地支配下にある19世紀末のインド、その中央部にある貧しい村で、映画ではインドで最も話者の多いヒンディー語が使用されています。映画は深刻な内容を扱っていますが、全体にコミカルに描かれ、インド映画では「お約束」の歌もダンスもふんだんに盛り込まれた映画です。
当時のインドでは、各地に藩王と呼ばれる地方勢力が民衆を直接支配し、イギリスは軍事力で藩王を支配することで間接的に民衆を支配し、徴税を行っていました。この地方では、前年から日照りが続き、前年は年貢を半分にしてもらったのですが、この地区を管轄するイギリス軍のラッセル大尉が、今年は年貢を二倍にすると言い出したのです。しかし今年もすでに雨季に入っているのに、雨はまったく降らず、年貢を納めること自体が困難な状況でした。そこで村人たちは藩王とラッセル大尉に陳情に行きますが、藩王は無力であり、大尉は非道でした。彼は年貢を三倍にすると宣言し、条件を出しました。村人がイギリス人とのクリケットの試合に勝てば、三年間年貢を免除するというのです。


クリケットはイギリスの伝統的なスポーツで、イギリスの海外進出とともに世界中に広まり、今日ではラグビー、サッカーに次いで人気のあるスポーツです。しかしクリケットは日本では馴染みが薄く、私もこの競技のルールをまったく知りません。ここでは、バットでボールを打つという点で、野球に似たスポーツとだけ述べておきます。そして、このゲームを押し付けられたた村人たちも、このゲームのルールを誰も知りませんでした。
大尉の要求は残酷でした。年貢を三倍払うか、ゲームを行うかでした。しかもゲームに負ければ、この村だけでなく、藩王の支配下にある村すべての年貢が三倍なります。まるで猫が鼠をいたぶるかのようです。これに対して、ブバンという青年が、村人の反対を押し切って受け入れを主張します。結局三か月後に試合を行うことになり、ブバンは少しずつ仲間を集めますが、問題はクリケットのルールを誰も知らないことです。
ところが、たまたまインドを訪れていた大尉の妹エリザベスが、兄のやり方が不公平だとして、ブバンたちにクリケットを教えることになりました。メンバーには、ヒンドゥー教徒、シク教徒、イスラーム教徒がおり、さらに不可触民まで参加しています。まさに宗教と身分の違いを超えたチームです。彼らの願いは、もちろん年貢の免除でしたが、同時に非道なイギリス人に対するインド民衆のプライドを示すことでした。
クリケットの試合の時間は方式によって異なるようですが、最大で五日間というケースがあるようです。今回の試合では三日間ということになっており、映画ではこの三日間の試合を1時間かけて映しています。藩王国の各地の村から人々が応援に集まり、大歓声の中で試合が始まります。何度も絶望的な状況に立たされますが、奇跡的にそれらを乗り越え、最終的に村人チームが勝利し、その直後に待望の雨が降り始め、人々が歓喜して映画は終わります。
 最初から結末が分かっているような映画ですが、非道なイギリスに対して、インドの民衆は血を流さず、クリケットというスポーツを通して自分たちの誇りを守ったという映画で、非常によくできており、また楽しい映画でした。なお、今日クリケットはインドの国民的なスポーツだそうです。

2018年7月25日水曜日

インド映画「バーフバリ 伝説誕生」を観て


2015年に制作されたインドの映画で、200分を超す超大作で、さらに第2部が2017年に公開されています。インド映画については、以前にこのブログで以下の映画を紹介しましたが、それ以来久々にインド映画を観ました。
「インド映画「ムトゥ」を観て」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/01/blog-post_10.html)
「インド映画「ボンベイ」を観て」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/01/blog-post_31.html)
 インドには多くの言語が存在し、それぞれの地方でそれぞれの言語の映画を制作する必要があり、この映画はテルグ語で制作されています。テルグ語というのはインドの先住民ドラヴィダ人系の言語で、今日インド東南部に多くの話者がいます。私が観たDVDには日本語吹き替え版がありましたが、テグル語の雰囲気に触れたいため、あえてテルグ語版を観ました。
 物語の舞台は、古代インドの大国マヒシュマティ王国で、シヴァガミという女性が赤子を抱いて追っ手に追われ、自らの命をシヴァ神に捧げて、赤子を村人に委ねます。この赤子はシヴドゥと名付けられ、25年後には逞しい青年に成長していきます。当時、マヒシュマティ王国では暴君が悪政を欲しいままにしていました。色々あって、シヴドゥは王を倒すために町に乗り込み、ある人からバーフバリと呼ばれました。
 そして話は50年前に遡り、バーフバリ伝説の形成について語られます。マヒシュマティ王国を建国したヴィクラマデーヴァ王とその妃が急死し、後には生まれたばかりの王子バーフバリが残されます。国務は王兄ビッジャラデーヴァの妃シヴァガミが代行することになり、やがてバーフバリか成長して王になりますが、王兄のビッジャラデーヴァは息子バラーラデーヴァを王にするため、バーフバリを殺害します。バーフバリの息子の命をも狙われたので、シヴァガミがその赤子を城から連れ出し、ここで最初の話に戻るわけで、後編はシヴドゥが王になる物語かと思います。
 この映画は、インドの古典中の古典「マハーバーラタ」の影響を受けているとのことです。「マハーバーラタ」はバーラタ族の内部抗争を描いており、その分量は聖書の4倍に達するとのことです。この「マハーバーラタ」は1989年に映画化され、400分を超える大作で、テレビでも放映されたのですが、私は見逃してしまいました。
 映画「バーフバリ」は、インドでは大好評だったようですが、私はあまり評価することができませんでした。映画の前半は、なんとなく「ムトゥ」のノリで、軽薄な感じがしました。「マハーバーラタ」はヒンドゥー教の聖典で、ヒンドゥー教に関するあらゆる知識の集大成とされていますが、「バーフバリ」にはシヴァ神が出てくる程度です。とはいえ、純粋の娯楽作品として観れば、この映画は十分楽しい映画でした。 

2018年7月11日水曜日

「苗字の歴史」を読んで

豊田武著、2012年、吉岡弘文館
苗字は、本来名字といい、日本では10万を超える名字=苗字があるそうです。苗字の発展は複雑な過程をたどりますが、基本的には血縁の繋がりを示すものとして発展し、この点で世界の他の地域でも、似たようなものです。したがって、根が地中にはるイメージから、苗字という言葉が用いられるようになったようです。日本における苗字の変遷の歴史は、日本の各時代の社会を反映しており、日本史の通史を勉強しているようでした。苗字の発展に大きな役割を果たしたのは武士で、彼らは地名を苗字にすることが多く、そのため名字の数が一気に増えたそうです。
明治維新後、戸籍法が制定されて庶民も苗字を持つことが求められたため、人々は寺に駆け込んで住職に苗字をつけてもらったりしたそうです。次に妻の問題があります。儒教では、祖先からの血の繋がりが重視されるため、女性が他家に嫁いだ場合でも、実家の苗字を名乗ります。しかし、戸籍法では、結婚した女性は夫の姓に変更することを求められます。これには家父長的な家族制度の強化という目的があったと思われます。ただし、中国では、夫婦は別姓のままです。
本書は、苗字の問題をかなり体系的に述べており、大変興味深く読むことができました。


2018年7月7日土曜日

映画でユーゴスラヴィアの解体を観て

はじめに

かつてバルカン半島の北西部に、ユーゴスラヴィアという国がありました。この国は本当に複雑な国でした。6世紀ころこの地方に南スラヴ人が進出し、やがて西方のスロヴェニア人とクロアチア人がローマ・カトリックを、東方のセルビア人などがギリシア正教を受け入れます。14世紀にセルビア人は一時大帝国を建設しますが、折からバルカン半島に進出してきたオスマン帝国軍にコソボの戦いで大敗し、15世紀にはバルカン半島の大半がオスマン帝国領となります。以後コソボはセルビア人の聖地となります。なお、オスマン帝国支配の下でイスラーム教に改宗する人々もおり、後に彼らはムスリム人と呼ばれ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの基礎となります。
 19世紀に入るとオスマン帝国の衰退は決定的になり、19世紀後半にはセルビアやモンテネグロが独立し、とくにセルビアは大セルビア主義を掲げ、セルビア人が居住する地域の統合を望むようになります。ところが、20世紀に入るとオーストリアがボスニア・ヘルツェゴヴィナを併合したため、セルビアとオーストリアの対立は決定的となり、1914年にセルビアの民族主義者がボスニア・ヘルツェゴヴィナのサライェヴォでオーストリア皇太子を暗殺し、これをきっかけに第一次世界大戦が勃発します。第一次世界大戦でオーストリア帝国が崩壊すると、この地域にセルブクロアートスロヴェーヌ王国が成立し、この国はまもなくユーゴスラヴィア(南スラブ人の国)と改名されます。第二次世界大戦中にユーゴスラヴィアはドイツの支配を受けますが、この時ナチスに支持されたクロアチアの民族主義者が、多数のセルビア人を虐殺します。

 第二次世界大戦後、ドイツに対するパルチザン闘争を指揮したチトーを中心として、ユーゴスラヴィアは六つの共和国からなる連邦国家となります。それぞれの民族に不満はありましたが、当面チトーのカリスマ性により統一が維持されました。しかし1980年にチトーが死ぬと各地で不満が噴出し、ソ連でのペレストロイカの影響で東欧革命が起きると、ユーゴスラヴィアでも1990年に自由選挙が行われ、その結果各国で民族主義政党が勝利し、1991年にはスロヴェニアとクロアチアが独立宣言をします。これに対してセルビア軍を主体としたユーゴスラヴィア連邦軍が侵攻し、スロヴェニアは簡単にこれを撃退し、スロヴェニアの独立は確定しますが、クロアティアでは1995年まで血みどろの戦いが続きます。そしてこれが、この映画の舞台です。

灼熱
2015年に制作されたクロアチア・スロベニア・セルビアの合作映画で、クロアチアを1991年と2001年、2011年という三つの時代に分けて描いています。灼熱の太陽が降り注ぐアドリア海沿岸で、灼熱の恋が燃え上がります。 
1991年イェレナとイヴァンの物語」
 クロアチア戦争が勃発する直前の夏、セルビア人の娘イェレナとクロアチア人の青年イヴァンは激しく愛し合っていました。しかしイェレナの兄がクロアチア人と付き合うことに反対するため、二人は町を出ることを決意しますが、結局イヴァンはセルビア人の村で殺されることになります。こうしてクロアチアは、隣村同士、隣家同士、愛人同士、夫婦同士が血みどろになって戦い、民族浄化が行われ、20万人ものセルビア人が難民となってクロアチアから脱出します。
2001年ナタシャとアンテの物語」
 戦争が終わってすでに6年がたちます。セルビア人の母ゾルカと娘のナタシャが故郷の村に帰ってきます。父も兄も戦争で死にました。村では至る所戦争の傷跡が残っており、彼女たちの家も、とても住める状態にはありませんでした。そこで二人はクロアチア人の若い修理人アンテを雇い、修理してもらうことになりました。ナタシャは兄たちを殺したクロアチア人を許すことができず、アンテを無視していました。しかしやがて二人は意識し合うようになり、かつて兄と遊んだ海岸で、二人は激しく愛し合いました。ただ一度だけの約束で。
2011年マリヤとルカの物語」
 クロアチア人であるルカは、セルビア人のマリヤを愛し、マリヤは妊娠しますが、ルカの母の反対で二人は引き裂かれます。しかしマリヤを忘れられないルカはやがて帰郷し、マリヤと子供に会います。マリヤは自分から逃げたルカを許せませんでしたが、結局二人は仲直りし、新しい家庭を築いていくことになります。

 この映画は三つの異なる物語からなっており、それぞれ異なる男女が主人公ですが、男女を演じた俳優は同じです。人も同じ、場所も同じ、異なるのは時代だということでしょうか。クロアチア戦争が始まってから20年の間に、信じられないような憎しみが爆発、激しい戦いを経て、時代とともに憎しみが消えていく様が、男女の愛という形で描かれているのだと思います。それにしてもあの憎しみは、何だったのでしょうか。

ノーマンズ・ランド
2001年にフランス/イタリア/ベルギー/イギリス/スロヴェニアにより制作された合作映画で、1992年に始まったボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争を題材としています。なお、以後ボスニア・ヘルツェゴヴィナについては便宜上ボスニアと記述します。
 ボスニアにはオスマン帝国時代にイスラーム教に改宗した人々が多く住み、彼らはボシュニャク人あるいはムスリム人と呼ばれますが、ここでは便宜上ボスニア人と呼びます。ユーゴスラヴィアの時代には、民族間の緊張の少ない状態が続き、都市部では多民族の混住、民族間の結婚なども進んでいました。ところが1991年にスロヴェニア・クロアチア・マケドニアが独立を宣言すると、ボスニア人も自民族による国家建設を宣言し、それに対抗してボスニア内に住むセルビア人やクロアチア人は、ボスニア人による支配を嫌い、独自の民族ごとの共同体を造り、武装し始めました。
当時のボスニアには約430万人が住んでいましたが、そのうち44%がボスニア人(ムスリム人)、33%がセルビア人、17%がクロアチア人で、しかもこれら異なる民族が混在していました。こういう状態で、それぞれの民族が独立国家を建設しようとしたわけですから、ボスニアは最悪の状態に陥ります。このことについては、このブログの「映画でボスニアを観て 「トゥルース 闇の告発」「サラエボの花」」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2016/11/blog-post_12.html)を参照して下さい。
この映画の舞台は、ボスニアのある戦場で、ボスニア軍とセルビア軍との間に国連軍が設定した無人地帯の、セルビア寄りの塹壕の中です。ボスニア軍の8人の兵士が交替のために前線に向かいますが、深い霧のため道に迷って無人地帯に入り込み、その内二人の兵士チキとツェラがセルビア軍寄りの塹壕に入り込んでしまい、ツェラが撃たれて意識を失い、チキが脱出路を探している間に、二人のセルビア兵がやってきます。老兵とニノという名の新兵です。老兵は、ツェラが死んでいると思い、ツェラの体を重し代わりにして地雷をしかけます。そこへチキが戻り、老兵を殺し、ニノを捕虜にします。
この地雷は、踏んで外すと1メートル飛び出して、2000個の弾をまき散らし、半径45メートル以内の生き物が全滅するという代物です。老兵はツェラの体を重し代わりに使っているので、彼をどければ地雷は爆発し、傍にいるものは全員死にます。そしてツェラは生きており、意識を取り戻しました。さあ、厄介なことになりました。ツェラが起き上れば、地雷は爆発するので、彼は寝ているしかありません。チキは彼を助けると約束しますが、どうすることもできません。ニノは捕虜なので逃げることもできません。こうして三人のやり取りが続くわけですが、それはまさに喜劇です。
その内、国連軍に出動が依頼されますが、国連軍は規則によってがんじがらめに縛られていて、一方の側の兵士を救出するために行動することは許されていません。今度はマスコミが登場し、女性レポーターが名前を売るために、国連軍が兵士を見捨てたとして全世界に報道します。今や世界中のマスコミが殺到し、国連軍もやむなく救助のため現場に人員を派遣します。しかし派遣された地雷の専門家は、このタイプの地雷は解除できないので、安全のためすべての人がこの場を離れるように要請します。かくしてツェラは、背中で地雷を抑えたまま、一人取り残されます。もはやマスコミもこの事件に関心を失い、後には滑稽さと空しさのみが残ります。

 1995年に国連の調停でボスニアの和平協定が締結されますが、三つの民族を融和させるのは容易ではなく、政治は国際的監視の下に置かれています。三つの民族の相違は宗教と歴史的経緯くらいしかなく、言語は、日本でいえば標準語と関西弁ほどの相違もなく、文化も共通、混血も進んでいるにもかかわらず、なぜこれ程憎しみ会うのか理解できません。戦争の過程で、おぞましい民族浄化も行われます。しかしこの映画では、そうしたことには一切触れず、この戦争の滑稽さを浮き彫りにします。それは反戦への強烈なメッセージであると思います。

バーバリアンズ
2014年に制作された セルビア・モンテネグロ・スロベニアによる合作映画で、ユーゴスラヴィア崩壊後のセルビアの若者たちの姿を描いています。
ユーゴスラヴィアでは、1991年から95年にかけて、スロヴェニア人、クロアティア人、ボスニア人が相次いで独立し、そのすべてにセルビア人が武力で抵抗しています。そして今度は、セルビアの自治州コソボで独立運動が起きます。コソボ住民はイスラーム系アルバニア人が多数を占め、1980年代にイスラーム原理主義的かつアルバニア国粋主義的なアルバニア解放軍が結成され、1995年ころから各地でセルビア人の殺害を行うようになります。そして1998年から本格的な戦闘が始まり、1999年にはNATO軍がセルビア軍を空爆し、コソボは事実上独立します。さらに、最後までユーゴスラヴィアに残っていたモンテネグロが離脱して、ユーゴスラヴィアは消滅することになります。
セルビアは、ユーゴスラヴィア崩壊の過程で、常に独立反対の側に立ち、逆に欧米諸国は独立側支援し、セルビアまるで悪者であるかのように扱われてきました。しかしユーゴスラヴィアの崩壊に関わる一連の紛争は、セルビアを含む個々の民族のエゴによるものだと思います。どうして、このような民族的なエゴがむき出しになったのか、私には分かりませんが、この地域の複雑な歴史的経緯と欧米の利害の産物だと思います。いずれにせよ、セルビアはすべての戦いに敗北し、国際的に孤立し、国民は閉塞感に苛まれます。そして、これがこの映画の背景です。
 映画の冒頭に次の詩がテロップで流れます。
夜になっても野蛮人はあらわれない。
もういないと言う人もいる。
どうする?野蛮人は世の解決策なのに。 ギリシャ詩人カヴァフィス
常に外部に敵(野蛮人)をつくって体制の維持を図る。しかし外部の敵は仮想の敵でしかなく、問題は内部にあることを知った時、人々は一体どうすればよいのか。まさにそれは セルビア人そのものでした。
 セルビアの若者たちは、将来への展望もなく、空しく日々を過ごします。散発的にコソボ独立反対が叫ばれますが、今更どうすることもできません。クラブに入り浸り、酒を飲み、女性と戯れ、時々地元のサッカーチームの試合を熱烈に応援します。今彼らが熱中できるものは、それしかないのです。なんともやりきれない映画でした。