2020年10月25日日曜日

北朝鮮の映画を観て

  朝鮮は、日本統治時代から映画制作が盛んで、日本で学んだ映画人たちが、多くの映画を制作していました。朝鮮戦争後も、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)国内に多くの映画館が建設され、映画は大衆娯楽としておおいに発展しました。特に1960年代後半になると、独裁者金日成(キム・イルソン)の後継者金正日が映画界の改革を行い、ソ連や西欧から現代的な映画製作設備を導入し、映画の社会的地位を高めました。1980年代に入っても、日本や香港などとの合作を進め、国際的な映画祭にも出品しました。

 今日では想像しにくいかもしれませんが、この頃までの北朝鮮は、経済的にも政治的にも韓国より安定しており、余裕をもって文化政策を行うことが可能でした。しかし、やがて北朝鮮の社会主義経済は停滞に向かい、1990年代における金日成の死去後、金正日が政治権力を継承しますが、北朝鮮の経済状況は悪化し、国際的にも孤立が進みました。そうした中で、映画も政府のプロパガンダに利用され、金正恩の時代には映画の制作本数が激減することになります。

ここで紹介する映画は、1970年代から80年代に制作された映画で、比較的よい品質が保たれています。













 1979に制作された映画で、1909年、朝鮮の民族主義者安重根(アン・ジュングン)による伊藤博文暗殺事件を題材としています。

 1905年に日露戦争に勝利して以降、日本は伊藤博文を中心に露骨な朝鮮侵略政策を推進します。伊藤博文は、日本では明治の元勲ですが、朝鮮にとっては諸悪の根源とでもいう存在でした。これにたいして朝鮮での反日闘争は高まり、両班階級出身の安重根もこれに身を投じますが、日本による弾圧は凄まじく、やがて元凶である伊藤博文を殺さなければ、事態は改善されないと考えるようになります。言い換えれば、伊藤博文さえ殺せば、朝鮮は独立できる、と考えたわけです。

 映画は、日露戦争終結から伊藤暗殺に至るまでを、伊藤と安重根を交互に登場させながら、事件の推移を追います。多少話の繋がりは悪いですが、それでも客観的に事実を追っています。また、映画ではしばしば朝鮮の美しい景色が映し出され、さらに美しい歌も挿入されており、まるで日本の古い映画を観ているようでした。

 当時日本人は安重根を「不逞鮮人」と呼びましたが、映画は最後に彼を「民族の英雄」と呼びます。ただし、映画は、彼のテロリズムは間違っており、このような方法では民族の独立は達成できないこと、そして民族の独立を可能にするのは、祖国光復会(金日成による創設)の活動を待たねばならい、主張しています。これが、この映画における唯一のプロパガンダでした。

 

 1972年に制作された映画で、金正日(キム・ジョンイル)が指揮して制作されたそうです。貧しい農民の娘に次々と不幸が襲い掛かり、それに耐えていく物語で、これでもか、これでもか、というほどの不幸の連続で、正直なところ、うんざりしてきました。

 映画では、地主の横暴が彼女の不幸のもとですが、その背景には日本による資本主義経済の導入と搾取があったことは、言うまでもありません。これは当時の世界的な現象で、この時代の日本でさえ、「おしん」が貧困に喘いでいました。

 結局この映画も、金日成が率いるゲリラが唯一の救いとなる、という物語です。映画は全体として冗長でしたが、時々ハッとするような美しい場面が映し出され、優れた映像技術を感じさせました。



2020年10月11日日曜日

「図説 神道」を読んで

三橋健著 2013年 河出書房新社

 日本の神話や国家神道は、戦前における天皇制を正統化するために用いられたため戦後は神話や神道に触れることはタブーとされ、私もこれらの分野について無知でした。最近神話については多少勉強しましが、神道については、相変わらず無知のままです。今回、本書を読むにあたっては、私自身に内容を批判する能力がないため、かなり警戒心をもっていたのですが、意外にも素直に本の中に入っていくことができました。

 日本には八百万の神々といわれるほど多くの神々が存在し、我々の身近にも深く関わっています。私は、こうした身近な神々と、それに関わる神道について、驚くほど何も知らないことに唖然とします。これらの神々の多くは自然現象と関わっており、われわれの日常生活と深く関わっています。こうした神々は美しく、日本人の心に深く根差して育まれてきたものですので、これらの神々を知ることは、日本人の文化と心を理解するうえで、大変重要だとおもいます。

 こうした宗教は世界中どこにでも生まれる宗教です。中国の道教、インドのヒンドゥー教、日本の神道などは多神教で、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教は一神教として比較されますが、こうした単純な比較には問題があるようです。とりあえず、私自身としては、日本の美しい神々を愛でたいと思います。


参勤交代について読んで

 久住祐一著 2019年 インターナショナル新書

 本書は、三河吉田藩の目付け役の記録をもとに、江戸時代に行われた大名の参勤交代の実情を再現しています。ただ、私自身としては、参勤交代そのもより、舞台となった三河吉田藩(豊橋)の方に興味があります。豊橋には、以前仕事で毎週のように訪問しており、静かな地方都市として、私が大変好きな町でした。

 今日の愛知県は、古代令制国家の尾張と三河からなり、江戸時代には尾張は尾張徳川家により統一支配されていましたが、三河には、大名領、直轄領、旗本領、寺社領などが多数散在しており、そのうち東海道の三河吉田藩は東海道の要衝をおさえる重要な藩です。この藩は領地替えが多く、5~8万石程度の藩でしたが、名門に与えられることが多く、この藩の領主になることは、幕閣への登竜門とさえ言われていたそうです。18世紀半ばに、ようやく松平家が藩主として定着しますが、第4代藩主の松平信明1788年に老中に任じられて、事実上の最高権力者として幕政を主導しまた。

その後嫡男が後を継ぐことになりますが、嫡男は江戸で過ごしますので、一度お国入りすることになりました。大名の嫡男にとって、故郷は国元ではなく江戸だったのです。ところが藩主が長く幕閣にいましたので、吉田藩は長く参勤交代の経験がありません。ここからが、本書の中心課題となます。他藩から参勤交代のマニュアル・本を借りてきたりして、些細なことに命をかけた奮闘が始まります。参勤交代に関わる儀式は、今日の我々からは笑ってしまうようなくだらないことが多く、それを大の大人が真剣に取り組んでいるのも滑稽です。

しかしこうした儀式を通して、地方文化と中央文化の一体化が進み、まもなく訪れる黒船の到来に対応する柔軟性が形成されたのではないかと思われます。


 2014年に制作された映画で、参勤交代をコミカルに描いています。時代は、8代将軍・徳川吉宗治世下で、陸奥国磐城の小藩・湯長谷藩が諸々の事情から5日で参勤交代を行わねばならなくなりました。参勤交代は、一定の基準を守らねばならず、磐城からだと普通8日かかるそうです。それを5日で達成するために、ある意味馬鹿々々しい努力が滑稽に描かれています。