2020年7月3日金曜日

映画「大統領の執事の涙」を観て


2013年にアメリカで制作された映画で、30年間ホワイトハウスの執事として働き、7人の大統領に仕えたアフリカ系アメリカ人セシルの生涯を描いています。
1926年のジョージア、セシルが少年時代には、すでに奴隷解放が行われて半世紀以上経っていますが、南部では奴隷は小作人と名を変えただけで、相変わらず奴隷労働を強いられ、この年セシルは目の前で母が主人に犯され、父が射殺されるのを目撃しました。その後彼は屋敷の給仕として働くようになり、やがてレストランやホテルの給仕となります。ひたすら白人に給仕し、白人のために働く彼が、白人をどのように思っていたか分かりませんが、白人に逆らおうとは考えもせず、ひたすら仕事に集中していたようです。
そして1957年にホワイトハウスの執事となり、まずアイゼンハウアー大統領に仕え、その下で黒人学生の隔離に反対する決定を目撃します。ケネディ大統領時代には公民権法運動の高まりと大統領の暗殺を目撃し、さらにジョンソン大統領の時代には公民権法運動の一層の高まりとヴェトナム戦争を目撃します。その後、彼はニクソン大統領、フォード大統領、カーター大統領、レーガン大統領と仕えますが、この間彼はいかなる政治的発言もせず、ひたすら忠実に働き、誰も彼の存在にすら気づきませんでした。上流階級の人人にとって、執事は家具と同じなのです。
彼には二人の息子がおり、長男は公民権運動に邁進し、国家と対立して何度も逮捕され、白人に仕える父を激しく非難していました。次男は、父の意思を継いで国家のためにヴェトナム戦争に出兵し、戦死します。それでも彼は仕事を黙々と続けますが、30年も働いて昇進もなく、給与は白人の40パーセントでした。しだいに彼は自分のしてきたことに疑問を感じるようになり、ある時長男の街頭演説を聞いて感銘し、長男とともに街頭デモを行い、長男とともに逮捕され、長男とともに数日間を拘置所で暮らし、彼は初めて公民権運動の重要性を理解しました。そして彼は息子を、両親が殺された農園に連れて行きました。彼自身、あの事件以来初めての訪問でした。
そして2008年、すでに彼は退職して久しいのですが、アフリカ系アメリカ人であるオバマが大統領に当選しました。セシルは、夢にも観なかったアフリカ系アメリカ人の誕生に涙をながしました。両親の殺害という惨劇を目撃した少年は、白人には逆らってはならないという教訓を胸に秘め、黙々と働き続けてきました。それは多くの黒人の人生であり、ある意味ではセシルの人生は平凡な人生だったかもしれません。しかしそうした平凡な人生にも、哀しみや憤りは蓄積されており、オバマの大統領就任は一つの慰めになったのでしょう。しかし今日なお、人種問題は解決されているとは言えないでしょう。

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