2020年3月7日土曜日

映画「許されざる者」を観て

 2013年に公開された日本映画で、1992年にアメリカで制作された同名の、日本版リメイク映画です。
 かつてアメリカの西部劇は高潔な主人公が正義を貫くという物語でしたが、1960年代から70年代に映画産業が斜陽になると、イタリアで低予算の西部劇が制作されるようになり、ニヒルで暴力的な主人公が登場するようになりました。日本でマカロニ・ウェスタンと呼ばれたこの種の映画で活躍し名声を高めたのが、クリント・イーストウッドでした。そのクリント・イーストウッドが、最後の西部劇として、自ら主演・監督して制作したのがアメリカ版「許されざる者」で、もはや映画においても現実においても、かつてのような無茶苦茶な殺戮は許されないとして、自ら西部劇に終止符をうったのです。この映画は高い評価を得、クリント・イーストウッドを尊敬する渡辺謙が、この映画の日本語版リメイクを制作したわけです。もはや絶滅危惧種となっていた西部劇やチャンバラ映画に最後のとどめをさしたわけです。
 アメリカ版の時代は1880年で、西部開拓時代の末期です。西部には、開拓者や一攫千金を夢見る人々、犯罪者、お尋ね者、さらに黒人や先住民など、あらゆる人々が跋扈し、多くの殺人が行われ、事実上無法状態にありました。映画は、この状態を、1880年つまり明治初期の北海道に当てはめています。この時代の北海道にも、さまざまな人が入り込み、一応明治政府の役人はいましたが、ここも事実上無法状態にありました。主人公の釜田十兵衛、幕末時代に幕府の武士として多くの勤皇派の武士を殺害し、人斬り十兵衛と恐れられ、北海道に逃れてからも多くの人を切りました。しかしやがて彼はアイヌの女性を愛し、二人の子供をもうけ、二度と人を殺さないことを誓っていました。しかしいろいろの事情から、再び人を斬ることになり、その後彼は奥地に消えていきます。殺戮の時代は終わったということなのでしょう。
 開拓時代の西部と北海道を重ね合わせるというアイデアはなかなかのものだし、確かに両者にはよく似た人間模様が見受けられます。ただ、やはり西部と北海道を重ね合わせるのは無理があり、最後まで不自然な感じが続きました。とはいえ、映画としては大変面白い映画でした。

なお北海道開拓については、「映画で明治を観て 新しい風」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2016/08/blog-post_20.html)を参照して下さい。

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