2015年制作のイギリス・アメリカ合作の映画で、一人のユダヤ系アメリカ人女性が、かつてナチスに奪われた名画「黄金のアデーレ」を取り返すという話です。ナチスは、ドイツでも占領地でもユダヤ人を迫害し、ユダヤ人の財産を奪い、命を奪いました。その時に奪われた金品の多くは、未だに返還されておらず、映画は略奪品の返還とナチスの非道を訴えています。
世紀末のウィーンを代表する画家の一人クリムトは、多くの肖像画を描き残しました。その一つが1907年の「黄金のアデーレ」で、富裕なユダヤ人の婦人アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像画です。彼は正方形のキャンバスを好み、金箔や銀箔を多用します。この138センチ四方の絵が室内に飾られると、まるで部屋が黄金に包まれたかのようになります。アデーレ自身は1925年に43歳で死亡しますが、彼女の姪で、この映画の主人公であるマリア・アルトマンは、毎日この絵を観て成長しました。しかし1938年、オーストリア政府はナチス・ドイツ軍のウィーン占領を受け入れ、その結果ユダヤ人は迫害され、「黄金のアデーレ」も奪われます。
その直後に、彼女は夫ともにウィーンを脱出し、アメリカに亡命します。それは賢明な判断でしたが、両親をオーストリアに残してきたことは、彼女にとって辛い思い出でした。彼女は両親を殺し、自分の生活を破壊したオーストリアを憎みましたが、過去の記憶を封印して小さな洋品店を経営して生きていました。当時「黄金のアデーレ」はオーストリアの美術館に展示され、今や「オーストリアのモナリザ」とか「オーストリアの宝」と言われていました。しかしこの絵がナチスにより強奪された日のことを生々しく覚えているマリアには、自分たちに何の許しも得ず、ずうずうしくも勝手に「黄金のアデーレ」を展示しているオーストリアを許すことが出来ませんでした。
1998年、マリアは弁護士になったばかりの甥に叔母の肖像画の返還協力を依頼します。マリアはすでに82歳になっていました。若い弁護士がオーストリア政府を相手に戦うことは容易ではありませんでしたが、いろいろあって、結局2006年ウィーンの調停にてマリアへの返還判定を勝ち取りました。マリアはこの絵を156億円で売却し、今日この絵はニューヨークのノイエ・ギャラリーに展示されています。マリアが90歳の時で、2011年2月7日アメリカ・カリフォルニアで94歳で永眠しました。
マリアが「黄金のアデーレ」を取り戻そうとしたのは、あの時代に行われた不正を正したかったからだと思います。そしてそれは、ホロコーストを生き延びた多くのユダヤ人の心なのだと思います。
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