2019年11月2日土曜日

映画「リベリアの白い血」を観て

 2015年にアメリカ・リベリア合作で制作された映画で、監督はニューヨークで活動中の日本人です。映画は、一人のリベリア人労働者を通して、我々が何も知らないリベリア人の生活が、我々の日常生活にいかに関わっているかを描きます。












リベリアについては、「入試に出る現代史 第8章アフリカ (2)アフリカ諸国の独立 独立を維持したリベリアとエチオピア」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/06/8.html)で、ある程度述べていますので、まずその部分を引用しておきます。
  リベリアは,アメリカで解放された黒人たちが1821年に現在のリベリアの一部を買い取って生まれた国で,「自由」という意味からリベリアと名づけられ,これに協力した米大統領モンローにちなんで首都をモンロビアとし, 1847年に独立宣言を行なってアフリカ最初の共和国となった。アメリカがリベリア建国を援助したのは,アメリカがアフリカ進出の足掛かりを得たかったからで,事実20世紀に入るとアメリカのタイヤ・メーカーが大規模な天然ゴムのプランテーションを開発することになる。
  移民の子孫はほんのわずかだが,彼らが政治・経済の実権を握っており,現地人との争いが絶えなかったが,1980年には現地人軍人による軍事クーデターが起こった。
以後,ドウ政権はアメリカ系支配層の排除を図ったが,1989年には反政府組織との間で内戦がおこった(1990年ドウ大統領は死亡)。
アメリカの白人が解放奴隷をアフリカに「帰した」理由の一つは、奴隷所有者にとって、解放奴隷の存在が目障りだったからです。この頃アメリカで奴隷制度が急速に発展し、それを支えるイデオロギーとして黒人が白人より劣っているという思想が形成されました。その際問題なのは自由黒人で、彼らはどこから見ても白人より劣っておらず、彼らの存在は黒人劣等説を脅かすものでした。そこで生まれてきたのが、「可哀そうな」黒人を「故郷のアフリカ」に帰してあげようという運動で、この運動を推進したのは黒人奴隷所有者であり、多くの自由黒人はこの運動に冷ややかでした。第一、彼らはアメリカ生まれであり、アフリカは彼らの故郷ではありません。
 それでも一部の黒人はリベリアに移住しますが、その数は僅かで、先住民の2.5%にすぎず、かれらは先住民を「文明化されていない黒人」として軽蔑しました。それに対して先住民は移住者(アメリコ・ライベリアン)を「アフリカを知らない黒い白人」と呼んで、敵意を剥き出しにしました。1980年のクーデタでアメリコ・ライベリアンの支配は終わりますが、部族間の抗争が激化し、1989年から2003年にかけて2度も起きた内戦により、リベリアは戦争一色の無秩序な国と化していきました。現在もその影響で、リベリアは世界最貧国の一つとなっています。
 主人公のシスコは、かつて内戦で多数の敵の兵士を残酷に虐殺しましたが、今は妻子をもち、農園でゴムの採取を行って暮らしています。ゴムは、ゴムの木に傷をつけ、そこから垂れる白い樹液を採取して、それを業者が集めて加工します。この樹液がタイトルの「白い血」で、労働者は低賃金で食べていくのがやっとです。そこでシスコは、友人を頼ってニューヨークに行き、そこでタクシー・ドライバーになります。突然ニューヨークへ来てタクシー・ドライバーになれるのかどうか知りませんが、ニューヨークにはリトル・リベリアという互助組織があり、多分彼は以前にニューヨークで暮らしていたことがあるのでしょう。言葉さえ異なる部族同士が敵対するリベリアにあっては、アメリカの方がより身近に感じるのかもしれません。

 最後に彼はタクシーのタイヤの交換を黙々と行います。タイヤの原料はゴムで、結局彼はゴムから離れて暮らすことは出来ませんでした。そしてゴムはあらゆる人々の日常生活で用いられており、ゴムを通して我々はリベリア人の困難な生活と悲惨な歴史を垣間見ることができるのです。

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