2012年にフランスで制作された映画で、印象派の画家マネの弟子にしてモデルでもあった女性画家モリゾを描いています。
フランスでは17世紀以来、新古典派の影響下にあるアカデミーが美術界を支配し、その公募展であるサロンが画家の登竜門として確立していました。アカデミーでは、古代ローマの美術を手本にして歴史や神話、聖書を描いた「歴史画」が高く評価され、理想美を描く画法がアカデミーの規範となっていました。しかし19世紀になると、その規範に従わない若い画家たちが次々に現れ始めました。歴史的事件に情熱的に感情移入するロマン主義、歴史ではなく現実をあるがままに描こうとする写実主義、自然の美しさに魅せられて戸外で制作するバルビゾン派などです。
それでも、画家として世に出るには、サロンで認められるしかありません。マネはサロンの伝統的な画法に批判的でしたが、サロンに出品し続け、一定の評価を得るようになっていました。それでも時々問題作を出品し、激しい非難を浴びました。例えば、1863年の「草上の昼食」では、着衣の紳士たちと裸婦が会話をしている場面を描いていますが、この女性は明らかに娼婦です。伝統絵画にも裸婦は描かれますが、それはニンフであり、理想の美でしたが、マネの裸婦はまさに生身の女性であり、伝統絵画では受け入れられないものでした。マネは激しく非難され、失望しましたが、この頃からモネ、ルノワール、ドガのような若い画家が彼を支持するようになり、この頃マネはモリゾと出会い、モデルになってくれるよう依頼し、以後二人の関係が続きます。
モリゾの母は画家を目指していましたが、結局結婚して出産し、画家となることをあきらめました。姉も画家を目指していましたが、やはり結婚して家庭に入る道を選びました。人は男女を問わず、何かを成し遂げようとするとき、多くのものを捨てなければなりません。しかし女性はまず、「女性は家庭人でなければならない」という固定観念と戦わねばならず、結婚すれば出産と育児という大事業が待ち構えており、画家という仕事と両立させることは容易ではありません。モリゾも30歳を過ぎたころ、画家を諦めようかとも思いましたが、結局マネの弟と結婚し、夫の理解を得て家庭生活と画家の仕事を両立させました。
映画はモリゾと家族やマネとの関係を中心に、モリゾが画家として、また女性として成長していく過程を淡々と描いています。モリゾとマネとの関係は、はっきりしません。映画では、お互いに意識し合ったこともあったようですが、マネには妻がおり、また梅毒を患っていたこともあって、二人の関係は発展しなかったようです。それより私には、サロン派の人々とマネとの関係の方に関心がありました。マネは、サロン派の厳しい批判に苦しみつつも、サロンへの出品を続け、印象派の若手たちからリーダーのように思われていましたが、最後までサロンを去ることはありませんでした。ただ、マネが新しい絵画の風潮に突破口を開いたのは、間違いがありません。
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