2018年9月15日土曜日

映画「ダーク・ソード 処刑人」を観て


2006年にイギリスとオーストラリアによる合作として制作された映画で、原題は「首切り役人」です。
時代は宗教改革と反宗教改革が荒れ狂う16世紀、場所はオーストリアのチロルです。ある修道院でゲオルグとマルティンという孤児が育てられており、二人は親友でしたが、やがて別々の道を歩むことになります。15年後に二人が再開した時には、ゲオルグは修道院長となり、マルティンは軍人として成功していましていました。しかしマルティンは、首切り役人の娘アナに恋をし、彼女と結婚し、首切り役人の仕事を引き継ぎます。首切り役人は社会的に卑しめられた階級でしたが、マルティンはそれを厭いませんでした。
しかし、宗教改革と対抗宗教改革の対立が激化する中で、二人ともこの争いに巻き込まれて生きます。教会は異端者を逮捕し処刑することを要求し、ゲオルグは修道院長として、マルティンは首切り人として、命令に従うしかありませんでした。そうした中で、アナが魔女として処刑されることになったため、二人は教会を裏切ることになります。
これが映画の大きな枠組みですが、そこに修道院での男色問題、マルティンの実の父の問題、再洗礼派の問題などが登場し、それが全体としてどう関わっているのか、よく分かりませんでした。映画の冒頭で、「根本主義者にとり政治と宗教の結びつきは、暗い時代を示唆していた」というナレーションが入りますが、意味がよくわかりません。「根本主義者」とは「原理主義者」のことをいい、普通軽蔑的に使う言葉で、この映画での根本主義者とは誰のことかは、よく分かりませんでした。また、映画の背景となる歴史的な事実が捻じ曲げられており、この映画は基本的には、B級映画としか言いようがありません。
なお宗教改革については、このブログの「映画で宗教改革を観て」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2015/09/blog-post_26.html)を参照して下さい。

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