2002年にロシアで制作された映画で、チェチェン紛争を題材としています。ロシアの言論統制の下で制作された映画であるため、少し距離をおいて観る必要があるかもしれません。ただ、私自身チェチェン紛争の実態をまったく知りませんので、映画をそのまま紹介することしかできません。
チェチェンは、前回に観た「映画でコーカサスを観て」で述べたコーカサスの北部に位置し、1991年にソヴィエト連邦が崩壊した時、南コーカサスは独立を達成したのに対し、独立を認められませんでした。こうした中でチェチェンでは、独立派と反対派の内部対立が起き、それが2度のチェチェン戦争とテロリズムを生み出すことになります。
1994年にロシア大統領エリツィンが4万の軍隊をチェチェンに派遣し、ここに第一次チェチェン紛争が勃発します。この紛争は1996年の協定で停戦が合意されますが、1999年にチェチェンの過激派が「大イスラーム国」建設を掲げて隣国に侵入し、さらにモスクワでテロが起きたため、プーチン首相は強力な指導力を発揮してチェチェンを制圧し、ここに第二次チェチェン戦争が勃発します。当時エリツィンの病状が悪化し、2000年にプーチンが大統領に就任しました。プーチンはチェチェン戦争とともに権力を拡大させていった人物だったのです。第二次チェチェン紛争ではテロが過激化し、2009年にロシア政府は一応紛争終結宣言を出しますが、テロは今も続いています。
映画は、第二次チェチェン紛争を背景としており、制作者の意図ははっきりしませんが、紛争を色々な視点から描いており、観る人によって異なった感想を持つ人がいるでしょう。映画は、新しく軍隊に入隊したサーニャとウラジーミルとの友情から始まります。サーニャは孤児院で育ち、軍隊で人生のチャンスを得たいと考えており、ウラジーミルは大学入学直前に徴集されました。彼らには、「映画「アフガン」を観て」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2016/10/blog-post_29.html)で見られた「国のために戦う」という意識はありませんでした。結局ウラジーミルは戦死し、サーニャはウラジーミルの遺体を家族の下に送り届けます。ウラジーミルの父は、1968年のプラハの春を弾圧するために派遣されました。彼は吐き捨てるように、「帝国主義を阻止するためにと言われたのに、実際には民主主義を抑圧しただけだった」と言います。人々は、もはや国家の戦争をそれ程単純には捉えられなくなっていました。サーニャたちも、結局はプーチンの権力欲のために利用されていたのかもしれません。
一方、サーニャたちが所属する部隊の司令官は、彼らが戦うチェチェンのゲリラの隊長とソ連兵としてアフガニスタンで戦った戦友でおり、彼らもそれ程単純に憎しみ会うことはできませんでした。チェチェンのゲリラの側も複雑でした。彼らはロシア軍と正面から戦っても勝ち目はありませんでしたので、強盗・誘拐・身代金など、ほとんど盗賊集団のようになっていました。彼らを匿ってきた村人たちもうんざりしており、ゲリラたちに出て行くよう要求します。また国外の過激イスラーム組織が入り込み、チェチェンのゲリラは彼らに振り回されるようになります。チェチェンのゲリラも、決して単純ではありませんでした。
この映画の最後に、「現在も未来も、祖国を守る者たちに捧ぐ」という字幕が映し出されます。この映画を観て、この字幕をどのように受け取るかは人によるでしょう。この映画の原題は、「前進 突撃」で、とりあえず前に進むしかない、ということでしょうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿