頤和園
2006年に中国で制作された映画で、1989年に起きた天安門事件が若者たちに与えた影響を描いています。原題は「頤和園」で、頤和園とは北京にある公園で、映画ではこの公園の池で恋する二人が静かにボートを漕ぐ場面があります。ただ、邦題の「天安門、恋人たち」は、幾分直接的すぎますが、こちらの方が分かりやすいように思います。
1949年に中華人民共和国が成立して以降の中国の歴史は、毛沢東時代(1949年 - 1978年)と鄧小平時代(1978年 - )に分けられます。毛沢東時代は、共産党独裁の確立と文化大革命の混乱、対外的には米ソと対立するなど国際的孤立の時代でした。鄧小平時代は、政治的には共産党独裁体制を維持しつつ、経済的には資本主義原理を導入するなど開放政策を採り、国際的にも米ソとの関係改善が進みました。こうした中で経済が急速に成長していきますが、政治の民主化が進められなかったため、若者たちの間に不満がたまっていました。1989年に改革を提唱していた胡耀邦総書記が死ぬと、学生たちが胡耀邦の死を悼んで天安門広場に集まり、6月4日人民解放軍が民衆に無差別発砲し、多くの人が死にました。これが六四天安門事件です。
今日の中国政府は鄧小平時代に属する人々ですから、現在も中国では天安門事件について語ることは禁止されています。もちろん学校でもこの事件については教えられていませんので、この事件以降に教育を受けた人々は事件そのものを知らないし、ネットで検索することもできません。したがって、事件の詳細については、ほとんど分かっていません。天安門事件に触れているこの映画も、中国では当然上映が禁止されました。
辺境の田舎町で育った少女余紅(ユー・ホン)は、1988年に北京の大学に入学します。この時代に大学に入れる人たちはエリートですが、彼女も他の学生たちもはっきりとした目的がなく、なんとなく時間が過ぎていきます。やがて彼女は理想の男性周偉(チョウ・ウェイ)と出会い、デートを重ね、激しく愛し合います。そうした中で天安門事件が起きます。映画では、天安門事件そのものにはほとんど触れられず、これをきっかけに多くの学生が大学を去り、全国各地に、あるいは海外に向かいます。余紅と周偉は強く愛し合っていましたが、悲劇的な別離になることを恐れて別れ、その後10年間余紅は各地を放浪し、何度も異なる男性と関係をもちます。そして彼女は10年後に周偉と再会しますが、ほとんど話し合うこともなく分かれてしまいます。
この映画は、大変分かりにくい映画でした。やたらにセックス・シーンが多く、多分天安門事件と関係がなくても、中国ではこの映画は上映禁止となったでしょう。かつての日活ロマン・ポルノは、10分に1回セックス・シーンを作れば、後は監督の自由という映画でしたので、監督は映画を通じて自由に自らの主張を表現することができました。この映画にも、監督のそうした思惑があったのかもしれません。
中国では、鄧小平時代になって経済は急速に発展しましたが、価値観が時代の変化に対応できていませんでした。映画で映し出される大学での学生生活は相当欧米化されており、文化大革命から10年余りでこれほどまでに変化するものかと、驚かされました。こうした激変の中で、若者たちは目標を見出すことができず、彼らは天安門事件の挫折後、放浪し、新しい価値観を求めていくことになります。それは、実際に天安門事件を経験した監督自身の姿なのかもしれません。
0 件のコメント:
コメントを投稿