池内紀著 1988年、みすず書房
本書は、世紀末のウィーンに生きたユダヤ人の好事家(ディレッタント) エゴン・フリーデルの一生を、叙情的に描います。
19世紀のオーストリア帝国は、他の多くの国で国民国家が形成されつつある時代に、多民族国家を形成し、首都ウィーンには多様な民族が集まってコスモポリタンな雰囲気を形成していました。そしてこのウィーンで、歴史上稀に見るほどユダヤ人が活躍し、文化のさまざまな分野で活躍しました。本書の主人公が活躍したウィーンの世紀末とは、こうした時代です。ウィーンの世紀末とは、広い意味で19世紀末から、ドイツによってオーストリアが併合される1938年までを指すのだそうです。なお、1907年に18歳のヒトラーは、美術を学ぶためにウィーンに移住し、挫折し、やがて反ユダヤ主義を学ぶことになります。
エゴン・フリーデルは、1878年に富裕なユダヤ人商人の子として、ウィーンで生まれます。彼は少年時代からトラブル・メーカーだったようで、ギムナジウムを卒業するのも大変だったようで、著者は彼を「永遠の落第生」と呼んでいます。大学に入るころには、彼は商人だった父から莫大な遺産を受け継いだため、一生働く必要はありませんでした。彼はウィーンを徘徊し、興味の赴くがまゝに、あらゆるものに手を出します。かれは批評家・哲学者で俳優、作家、随筆家、歴史家、ジャーナリスト、劇作家、劇評家、また編集者・朗読家・文学キャバレーの経営者でもありました。「要するにフリーデルは、言葉に関わるところのほぼ全域を一人でもってやってのけたのである。」
1920年代に彼の代表作「近代文化史」全3巻が執筆されます。私自身はこれを読んでいませんので、筆者の文章を引用します。「彼は、繰り返し繰り返し、自由の確保に努めている。歴史的素材に、絶えず精神の型を見ることの自由。人間における自己表現の試みとして読み、時代にとっての自己実現の欲求として還元することの自由。ところでこの自由な歴史家は、いかなる新しい成果を付け加えたわけでもない。既成の歴史的事実のなかに、新しいシーンと新しいモチーフを持ち込んだだけである。だがそれによって、ものの見事に近代史が一変した。閉じられていた史実の門が、軽くきしみながら再び開いたぐあいである。よく知られた人物たちが未知の顔をのぞかせ、おなじみの事実が驚くべき関連性を示しはじめた。」
本書は、絶えず横道にそれ、エピソードを語り、そうすることでエゴン・フリーデルが生きた世紀末のウィーンを描き出しています。なお、ドイツがオーストリアを併合した1938年に、エゴン・フリーデルはビルの窓から飛び降りて自殺しました。
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