シテクリ著(1972年)、松野武訳(1977年) 東京図書
コペルニクス以来くすぶり続けていた地動説を不動のものにしたガリレオの生涯を、ドキュメンタリー風に記述していますが、なぜか作者のシテクリについて、翻訳者は後書きでまったく触れていないため、まったく分かりません。
ガリレオは、初めてピサ大学の教授に招かれたころ、自信に満ち、傲慢でした。しかし、貧困、嫉妬、陰謀などに取り巻かれて苦労するうちに次第に慎重になり、特に1600年にジョルダーノ・ブルーノがコペルニクスを擁護して火刑に処せられて以降は、直接コペルニクス説を肯定したり、地動説を肯定したりはしませんでした。なお、コペルニクスについては「「太陽よ、汝は動かず」を読んで」http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2017/03/blog-post_8.htmlを参照してください。
彼は早く父が死んだため、家族の面倒を見ねばならず、金の心配をせずに研究に専念できるように、メディチ家のお抱え数学者となります。さらに自ら望遠鏡を改良し、木星の周りに3つの衛星があることを発見します。それは、宇宙はすべて地球を中心に回っているというプトレマイオスの主張を否定するものです。そして月には山や谷があること、太陽には黒点があることを発見し、月や太陽は平らであるという従来の説を否定します。ガリレオは決して地動説を直接口にしませんでしたが、これらの観察はまぎれもなく地動説を補足するものです。コペルニクスの地動説は数学的に完成されたものであり、あくまで数学的な問題、地動説とは関係のない問題と捉えられ、ガリレオも決してこれを否定しませんでしたが、彼の観測結果はコペルニクス説を裏付けるものばかりです。
ついにローマの異端審問所や教皇がガリレオを呼び出し、一時は有罪の判決を受け、自説を撤回し、さらにまた訴えられ、彼の晩年は異端審問所と教皇との戦いの連続でした。しかしその間に彼の著書はヨーロッパ中に広まり、ガリレオ説は次第に否定しがたいものになりつつありました。しかし、ローマ教皇がガリレオ裁判の誤りを認めたのは、実に1992年になってからです。
本書は二段組で400ページを超える大著で、全体を読み通すにはかなり時間がかかりますが、貧困との戦い、ピサの斜塔での実験や望遠鏡での成果が無視されたこと、刻々と迫る異端審問所からの脅しなどが生き生きと描かれており、大変面白く読むことができました。
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