北京の胡同を舞台とした映画を二本観ました。胡同とは、北京のかつての城壁内にある路地で、13世紀の元朝時代に作られた道が、明・清時代の新たな道路建設を経て、細切れになってあちこちに残ったものだそうで、最盛期には6000箇所以上もあったそうですので、決して珍しいものではありません。この胡同に面して、四合院と呼ばれる建物が建てられていました。四合院とは、中庭を中央に設け、その東西南北に一棟ずつ建物を配置するもので、本来金持ちが住む家でしたが、やがて貧乏な多くの家族が住むようになります。魯迅はかつて、家族や兄弟・親戚を呼んで四合院に住んだことがあり、老舎は多くの家族が雑居する四合院で育ちました。四合院にはトイレや炊事場が一か所しかなくて不便で、また排水施設やゴミの処理も不十分で、かなり不衛生でした。そうしたこともあって、四合院と胡同は少しずつ取り壊されて近代的なビルが建てられ、2001年の北京オリンピック開催の決定をきっかけにこの傾向は一層進展します。今では、四合院と胡同は観光地化し、古い建物を見るために多くの観光客が集まっているとのことです。
胡同のひまわり
2005年に中国で制作された映画で、1976年、1987年、1999年という3つの節目となった年を中心に、北京の胡同(フートン)で暮らすある家族の生活が描かれています。
チャン家の当主ガンニャンは、画家志望でしたが、文化大革命時代の強制労働で手を痛め、息子のシャンヤンに画家として才能があると信じ、息子に強制的に絵を学ばせます。一方、母のシウチンはいつか胡同を抜け出し、お金を貯めて役人に賄賂をわたし、公営のアパートをもらうことを夢見ていました。1976年文化大革命も終わり、父が6年ぶりに強制労働から戻り、9歳のシャンヤンと再会し、父は自分が失ったものを息子に受け継がせようと、絵をおしえます。シャンヤンは、明らかに画家としての優れた才能を示していましたが、1987年に厳しい父の指導に反発して家出し、結局連れ戻されます。この頃すでに、改革開放政策により町は活気づき、高層ビルも建設されるようになっており、母はアパートを手に入れるのに必死です。1999年、北京には高層ビルが立ち並び、息子も画家として評価されるようになり、母も念願のアパートを手に入れますが、なぜか父は胡同に住み続け、ある時姿を消します。彼は、初めて自由に自分がしたいことをしようと思ったようです。そしてある時、父の手により胡同にヒマワリの花が植えられていました。
この映画は、文化大革命以来の激動の時代に振り回された人々や、胡同という貧民街が高層ビルの立ち並ぶ街へと変貌していく姿を描いていています。胡同も四合院も、ずいぶん数は減りましたが、まだ現役で使用されており、何百年も続いた貧民窟は今や文化財となりましたが、その姿かがよく描かれていたと思います。
胡同の理髪師
2006年に中国で制作された映画で、タイトルの通り胡同に住む一人の年老いた理髪師の日常生活を描いています。主人公は、当時実在していた92歳の理髪師本人で、主人公以外の出演者も素人が多いそうなので、これはドラマというよりドキュメンタリーに近いものです。
主人公のチン爺さんは、辛亥革命の2年後、1913年に生まれ、11歳ころから理髪師の修行をはじめ、以後81年間理髪師を続けているそうです。その間に中国では、軍閥支配、日中戦争、国境内戦、文化大革命など激動の時代が続きましたが、彼にとって、今となってはそれも昔話でしょう。胡同の小さな部屋に住み、三輪自転車で出張理髪に行き、代金はインフレに関係なく、いつも5元(90-100円)です。楽しみは友人たちと昔話をしながらマージャンをすることです。何の欲もなく、淡々と毎日同じことを繰り返して生きており、それで彼は十分に幸せでした。
しかしこの間に北京は激しく変わっていました。3年後にオリンピックを控え、近代的なビルが立ち並び、胡同でも立ち退きの要請が来ています。子供たちは立ち退き金が欲しいため、早く立ち退くことを進めますが、彼の望みは胡同の小さな部屋でひっそりと死んでいくことです。ある時ふと思いついて、自分の葬儀用の写真と死に装束を揃え、死んでも誰にも迷惑をかけないように準備を整え、後は死を待つのみです。まるで昆虫のような一生ですが、考えてみれば、人間の一生は大なり小なり、似たようなもののように思います。結局彼は、2014年に101歳で死亡しました。この間、映画で有名になった彼を訪ねる人が多く、かれはちょっとした有名人になっていたようです。
私も、最近しばしば自分の死について考えます。できれば私も昆虫のように死んでいきたいと思うのですが、これだけ文明にまみれて生きていると、そういう死に方は無理かもしれません。「生」に執着し、のたうち回って死んでいくのかもしれません。このブログは、そうならないように、心の準備をするために書いているのかもしれません。
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