1982年にアメリカで制作された映画で、1973年にチリで起きた軍事クーデタを背景とした映画で、実話に基づいています。1970年にチリで成立したアジェンデ社会主義政権は、1973年の軍部のクーデタによって崩壊します。このクーデタがアメリカの積極的な支援の下で行われたことは、今日では明らかで、特にニクソン大統領とキッシンジャー国務長官の時代には、中南米各地で露骨な介入が行われました。この点については、「入試に出る現代史 第7章 ラテン・アメリカhttp://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/06/7.html」と「映画「ノー」を観てhttp://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2017/03/blog-post_11.html」を参照して下さい。映画「ノー」は軍事独裁政権の終焉を描いた映画ですが、映画「ミッシング」はクーデタ時におけるミッシング(失踪)事件を描いたものです。この時代には、中南米各地で軍事独裁政権が成立し、前に観た「映画「ジャスティス 闇の迷宮」を観て」http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2017/03/blog-post_4.html」も、アルゼンチンにおける失踪事件を描いたものです。
児童文学の作家を志すアメリカ人チャールズ・ホーマンは、妻のベスとともにチリで自由な暮らしをしていました。そして1973年9月11日に、ピノチェト将軍がアメリカのCIAの全面的な支援を受けてクーデタを起こし、アジェンデは自ら銃をとって戦いましたが、最後のラジオ演説を行った後、自殺します。町は、軍隊による反対派の掃討作戦により大混乱に陥り、多くの人々が殺されていきます。そうした中で、16日にチャールズが軍隊に連行され、そのまま姿を消します。ベスや友人たちは必死にチャールズを探しますが、アメリカ大使館もアメリカ軍も協力しようとしません。やがてチャールズの父エドも息子を探すためチリにやって来ます。
エドはニューヨークでビジネスマンとして成功した人物で、実利的で保守的な人物であり、リベラルな息子や嫁をきらっていましたが、彼には政財界にコネがあり、それを駆使して息子を探します。さすがにアメリカ大使もエドを無視することはできず、一応探す振りはします。そうした中で、エドはアメリカがチリでいかにひどいことをしているかを知ります。もちろん彼は政財界に通じた人物でしたので、当時のアメリカが中南米で何をしているかを知ってはいましたが、その実態を目の当たりにします。結局、チャールズは連行された翌日に処刑され、遺体は競技場の壁に塗り込められていたことが判明しました。チャールズは決して政治的な人物ではありませんが、たまたまアメリカ軍がクーデタを大規模に支援している現場を目撃したために殺されたようで、大使たちは初めからそれを知っていたようです。エドは帰国後、アメリカ大使やキッシンジャー国務長官を息子の殺害容疑で訴えますが、裁判の結果、証拠不十分で訴えは棄却されました。
こうしたことは、当時の中南米にあっては決して珍しいことではなく、この事件はエドが大物だったために、明るみに出ただけだったのだと思います。なお、この映画が制作された1982年の段階では、登場人物の実名が明らかとなることには危険が伴いましたので、一部は偽名となっているそうです。
0 件のコメント:
コメントを投稿