ラスロー・タール著、1969年、野中邦子訳、平凡社(1991年)
本書は、古代オリエントから現代に至るまでの馬車を、200枚を超す図版と綿密な考証によって記述しており、500ページに近い大著です。
すでに先史時代に、人々が荷物を橇に乗せて紐で引っ張って運ぶことは、どこでも行われていたようですが、やがてこれに車輪をつけるという革新が起きます。車輪が、いつどこで発明されたのかはっきりしませんが、オリエントでもインドでも中国でも、ほぼ同じ頃に登場しますので、それぞれ別個に発明された可能性があります。車輪の原型は、丸太棒のようなコロのように思われがちですが、実際にはそれ程単純ではなく、宗教儀式で太陽を象徴するものとして用いられたのではないか、という意見もあります。実際インドでは、その宗教思想の根幹に輪廻という考え方があります。
次に、荷車を曳かせるために家畜を用いる分けですが、馬が用いられるようになるのは、かなり遅れるようです。牛の場合、肩にベルトをかけることができるのですが、馬の場合首にベルトがかかるため、容易ではなかったようです。色々な工夫がなされ、やがて馬が用いられ、馬車が登場するわけですが、馬車は横揺れや縦揺れ、さらに下からの突き上げで、極めて乗り心地が悪かったようです。また、道路事情が悪く、馬車はよく転倒しました。そのため、古くから馬車は戦車としては用いられましたが、人間の日常的な乗り物としては普及しませんでした。魏晋南北朝時代の中国では、貴族たちには牛車でゆっくり進むのが上品とされ、日本の平安時代にも貴族たちは牛車を用いました。なお、騎馬は馬車よりさらに遅れます。騎馬については、このブログの「グローバル・ヒストリー 第10章 遊牧騎馬民族の活動と内陸ユーラシア」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/01/10.html)を参照して下さい。
16世紀のヨーロッパで色々な技術的改良がなされ、馬車が急速に普及し、18世紀から19世紀前半にかけて馬車の普及は頂点に達します。スプリングなど多くの技術的な改良がなされ、何よりも道路が少なくとも町では舗装されるようになります。こうして、個人の馬車だけでなく、辻馬車、駅馬車、郵便馬車など、公共の乗り物としても普及していきます。スタイルも非常に美しくなり、19世紀末期の馬車は、これにエンジンを搭載すれば、自動車になるような形の馬車も登場します。
しかし19世紀前半に鉄道が普及すると、長距離移動用としての馬車は廃れ、そして20世紀に自動車が登場すると、馬車はもはや無用の長物となっていきます。日本でも明治時代に、欧米の影響で馬車が用いられるようになりますが、もはや馬車の時代は終焉に向かっている時代で、結局日本では馬車が定着することはありませんでした。
最後に著者は次のように述べています。「本来、馬車の歴史に関しては壮大な文化史的展望でパノラマを描き出すことが可能であるはずであるが、本書は馬車の歴史をざっと通観したものにすぎない。とはいえ、ここに並べたような細々とした絵を連続して見ることによって、はかり知れない魅力に富んだこの技術的、歴史的かつ社会学的な主題の本質的な部分に一条の光があてられるなら、本書の目指した目的に一歩近づけたといっていいだろう。」しかし私には、本書は充分「壮大な文化史的展望でパノラマ」を描き出しているように思えました。
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