2006年にフランスでテレビ用に制作された映画で、18世紀半ばのフランス国王ルイ15世の公式の愛妾だったポンパドゥール夫人の半生を描いています。18世紀半ばのフランスは、ルイ14世時代の全盛期は過ぎたとはいえ、まだ十分繁栄しており、ルイ14世時代と異なり戦争が少なかったため、比較的平穏な時代であり、啓蒙思想が盛んになった時代でもありました。同じ頃、日本でも中国でも平和な繁栄の時代を迎えており、庶民文化も大いに発展していましたが、フランスも中国も日本も時代の曲がり角にきていました。
ルイ15世は、曽祖父ルイ14世の死により、1715年にわずか5歳で国王に即位します。1725年、15歳になったルイはポルトガル王女と結婚し、彼女は毎年のように11人の子を産みますが、男子は2人だけで、その内の一人は早世します。この間に、そしてその後も、ルイは、数えきれない程の愛妾を持ち、さらに多くの庶子をもうけます。また、特に寵愛したシャトールー夫人を公妾としますが、1744年に死亡します。一方、後のポンパドゥール夫人ジャンヌ=アントワネット・ポワソンは、ブルジョワ階級の家に生まれて十分な教育を受け、男爵と結婚して貴族の仲間入りをし、1745年にルイ15世に出会います。そしてこの年、ルイ15世は彼女にポンパドゥールの領地を与えて侯爵とし、彼女は夫と別居して、ヴェルサイユ宮殿に住むことになります。
ヴェルサイユ宮殿は、異常な空間です。もともとルイ14世が、若かったころに起きた貴族の反乱に懲りて、ヴェルサイユ宮殿に貴族たちを強制移住させ、貴族たちを骨抜きにしてしまいます。宮殿では馬鹿馬鹿しいような儀式が繰り返され、国王といえどもこの儀式から自由ではありませんでした。ポンパドゥール夫人は、見事にこの異常な空間に溶け込み、宮廷で力をもつようになります。特に、ルイ15世が政治にあまり関心がなかったため、政治的にも大きな影響力をもちます。また、彼女の読書量は半端ではなく、啓蒙思想に理解を示して、彼らの活動を保護したりもします。当時の彼女は、フランスで最も影響力のある女性だったといえるでしょう。映画は、ポンパドゥール夫人のこうした日常生活を淡々と描いています。
しかし一方で、その散財ぶりも半端ではありませんでした。化粧品や衣裳・装飾品のみならず、各地に多くの宮殿を建てました。今日、フランスの大統領官邸となっているエリゼ宮殿は、ルイ15世が彼女のために買い与えたものです。王の寵愛に依存して宮廷で登りつめ、贅沢の限りを尽くしたポンパドゥール夫人と、啓蒙思想を擁護するポンパドゥール夫人とが、今一つ結びつきません。映画では、ルイ15世への愛がポンパドゥール夫人の支えだったとして描かれていますが、逆にルイの寵愛を失えば、彼女はたちまち吹き飛ばされてしまう存在でした。宮廷は異常な世界であり、また当時の貴族はサロンを開いて文芸を保護しますので、彼女の活動も当時の時代を反映していたのかもしれません。
いずれにしても、1764年に夫人は42歳で病死します。しかしルイは、1770年にはデュ・バリー夫人を公妾とし、この年オーストリアの王女マリ・アントワネットを王太子の妃として迎え入れ、1774年に死亡します。それとともに、ルイ16世とマリ・アントワネットが玉座につきますが、フランス革命は目前に迫っていました。
映画は、ヴェルサイユ宮殿でのポンパドゥール夫人の生活を描き出しており、それなりに興味深く観ることができましたが、結局、ポンパドゥール夫人をどのような女性として描きたかったのか、よく分かりませんでした。
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