2003年のアメリカ・アルゼンチン・スペイン・イギリスの合作映画で、1976年から1983年までのアルゼンチンの独裁政権による失踪事件を描いています。
スペイン人は、早くも1516年にアルゼンチンに入り、先住民から銀の山があるという噂を聞きつけて、多くのスペイン人が殺到します。アルゼンチンという国名は、ラテン語で「銀」を意味します。結局銀山はありませんでしたが、多くのスペイン人が農場や牧場を経営するようになります。19世紀初頭にアルゼンチンは独立しますが、その後は、他の多くの中南米諸国と同様に、地主による寡頭支配や軍事政権が続きます。特にアルゼンチンは、周辺諸国と国境を巡ってしばしば戦争をしたため、軍部が強力で、しばしばクーデタによって権力を握りました。1946年にペロンがポピュリスト的手法で人気を集めましたが、その後、1955年、1962年、1966年、1976年に相次いで軍部がクーデタを起こします。そしてこの映画は、1976に成立した軍事政権を背景としています。なおペロンについては、このブログの「映画でラテンアメリカの女性を観る エビータ」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/09/blog-post_28.html)、「映画でゲバラを観て」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/10/blog-post_17.html)を参照して下さい。
1960年代から70年代にかけての中南米では、各国で軍事独裁政権が成立する傾向がありました。この点については、このブログの「入試に出る現代史 第7章 ラテン・アメリカ」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/06/7.html)を参照して下さい。アルゼンチンでは、1976年にビデラ将軍によるクーデタで成立した軍事政権は、最悪でした。反政府的な活動をする人々や邪魔者を次々と逮捕=拉致し、密かに拷問し殺害しました。これは当時「失踪」と呼ばれ、1983年に軍事政権が崩壊するまでに3万人もの人々が失踪したとされます。この一連の失踪事件は、「汚い戦争」と呼ばれています。
当時、失踪が政府の秘密機関によるものであることは誰でも知っていたようで、映画では夫や子供を「失踪」させられた女性たちが、夫や子供を返せとデモをしている場面がしばしば映し出されます。児童劇団を主宰するカルロスは政治には関心がありませんでしたが、ジャーナリストである妻のセシリアは失踪事件を取材し、それを記事にして公表しようとしていました。そしてセシリアは失踪します。彼女は監禁され、拷問され、レイプされ続けます。カルロスは必死に妻を捜しますが、その過程で、彼は自分の不思議な能力に気づきます。家族を拉致された人に触れると、その家族の現在の状態が、映像のように彼の頭に浮かぶのです。本当にそんな能力が存在するのかどうかは知りませんが、双方の強い思いが、そうした能力を生み出すのかもしれません。ところが、セシリアについてだけは、何も見ることができませんでした。
そんな中で、今度は娘のテレサが失踪します。彼女はまだ15~6歳の少女でしたが、彼女もまた拷問され、レイプされ、処刑されます。一体、このような少女から何を聞き出そうというのでしょうか。犯人は、単なるサディストとしか思えません。やがてセシリアは脱走し、人ごみの中でカルロスと出会い、二人が抱き合って映画は終わります。しかし娘は帰ってきません。最後に、「悲劇を繰り返すな」という字幕が流れますが、何か虚しさを感じます。映画に登場する人物は架空の人物であり、映画もサスペンス風に描かれてはいますが、「失踪」は事実であり、あまりに非道で悲惨な事件でした。
1982年フォークランド諸島(マルビナス諸島)の領有を巡って、アルゼンチンはサッチャー首相時代のイギリスと戦い、敗北します。その結果、軍は威信を失い、1983年に軍事政権は崩壊します。当時、サッチャー首相の行動は、あまりに植民地主義的で時代錯誤な行動として批判され、事実そうだとは思いますが、結果的には彼女の行動はアルゼンチンを軍事政権から救ったわけです。そしてビデラ将軍は、「人道に対する罪」によって終身刑を宣告されました。
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