2016年10月22日土曜日

映画「光州5・18」を観て

2007年に韓国で制作された映画で、1980518日に韓国の光州で起きた軍隊による民衆の弾圧事件を描いています。
 1945年、朝鮮は日本から独立し、その後38度線を境に米ソが分割占領した後、1948年に、北に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、南に大韓民国(韓国)が成立して、朝鮮は分断に向かっていきます。北朝鮮ではキム・イルソン(金日成)が、韓国ではイ・スイマン(李承晩)が独裁を強め、朝鮮戦争(195053)を経て朝鮮の分断は決定的となり、今日に及んでいます。韓国では、1960年にイ・スイマンの独裁政権は崩壊し、1961年にパク・チョンヒ(朴正煕)がクーデタで実権を握り、独裁者となっていきます。パク・チョンヒは現在の韓国大統領パク・クネ(朴槿恵)の父です。彼は日本軍で軍事訓練を受けた人物で、政治の実権を握ると、日本やアメリカの援助を受けて経済の発展に努めます。

 しかし結末はあっけないもので、1979年にパク・チョンヒは部下によって暗殺され、暗殺者の動機は個人的な恨みだったそうです。突然の独裁者の死により、民衆は民主化への期待に沸きましたが、同年に再び軍のクーデタにより、チョン・ドゥファン(全斗煥)が実権を握り、翌1980年に戒厳令を敷いて民主化運動を弾圧します。そして映画はここから始まりますが、映画ではこうした政治的な背景は一切語られていません。それについては、韓国人なら誰もが知っているからということもありますが、映画のテーマ自体が政治というより、ヒューマン・ドラマだからです。



 映画の舞台は、全羅道の光州市です。全羅道は、三国時代(4世紀~7世紀)には百済が栄えた場所で、その東隣に新羅があり、これが今日の慶尚道です。新羅と百済は激しく争い、7世紀に日本が百済に援軍を送りましたが敗北し、百済は滅亡し、新羅が半島を統一しました。それ以来全羅道と慶尚道との対立は続き、こうした歴史的な背景のもとで、全羅道には反中央の気風が根付いたとされます。1929年には、光州の学生が日本の支配に対して反乱を起こし、それが全国に波及します。今日、この反乱が起きた「113日」は「学生の日」となっています。実は、パク・チョンヒもチョン・ドゥファンも慶尚道の出身であり、これに対して民主化運動の旗手であるキム・デジュン(金大中)は全羅道の光州の出身でした。光州事件の背景には、こうした地域対立もあったとされています。
 映画では、タクシー運転手のミヌ、弟のジヌ、ミヌの恋人で看護師のシネ、シネの父親で退役軍人のフンスが中心となり、彼らを通して混乱の中での兄弟愛、恋愛、親子愛が描かれます。突如戒厳軍が大軍で光州に侵入し、ジヌが殺され、怒ったミヌがフンスらとともに市民軍を創設し、戒厳軍と戦います。韓国では徴兵制が行われているため、かなりの市民が軍事訓練を受けており、武器さえ手に入れれば正規兵と変わりません。しかし、結局527日に市民軍は鎮圧され、この戦闘による市民の被害者は数百人から数千人とされ、今日でもはっきりしないようです。
 この事件は、政府によって北朝鮮の工作員によって扇動されたものとされ、アメリカも朝鮮半島の不安定化を危惧して介入せず、結局光州市民は見捨てられ、キム・デジュンは逮捕されて死刑を宣告されます。当時、岩波書店が刊行していた雑誌「世界」に、韓国在住のTK生なる人物により、1973年から88年までの15年もの間、「韓国からの通信」という記事を連載し、当時私も読んでいました。記事の内容は独裁政権の非道さを、「事実に基づいて」非難するものでしたが、2003年にTK生が名乗り出て、本人は当時日本に亡命中で、記事が韓国での情報収集によるものではないことが判明しました。しかも、雑誌「世界」の編集長が、その事実を知っていたとのことです。こうなると、もはや何が真実なのか分からなくなってしまいます。
 結局、その後どうなったのでしょうか。その後、チョン・ドゥファンによる軍事独裁政権が続きますが、国民の民主化要求が高まったため、1987年に大統領選挙が行われました。選挙の結果は、野党が分裂したこともあって、チョン・ドゥファンの後継者であるノ・テウ(盧泰愚)が大統領に選ばれ、その後も軍事政権による民主化運動の弾圧は続きますが、ノ・テウ政権のもとで少しずつ民主化が進み、1990年には久しぶりの(初めての)文民大統領が当選し、1997年には民主化運動のシンボルでもあったキム・デジュンが大統領となり、韓国の民主化は揺るぎないものとなりました。チョン・ドゥファン自身は、その後不正蓄財で逮捕され、現在では隠遁生活を送っているそうです。こうした過程で、光州事件は民主化運動の先駆けとして評価されていますが、私には今一つこの事件の実像が分かりません。映画は、少し芝居がかりすぎているような気がしますが、これが韓国映画なのでしょう。

 話が逸れますが、韓国の固有名詞の表記について触れておきたいと思います。韓国は漢字文化圏であり、今日ではほとんどハングルが用いられていますが、本来固有名詞は漢字で書かれています。また、日本では漢字で書かれた韓国の固有名詞を日本語で発音していました。例えば李承晩は「りしょうばん」、朴正熙は「ぼくせいき」と発音していました。ただ、韓国から韓国語で発音すべきだという意見があり、ある時期から日本でも韓国語で発音するようになりました。多分、現在でも全斗煥までは日本語で「ぜんとかん」と発音しますが、それ以降は韓国語で発音しているようです。もっとも最近の韓国では漢字がほとんど用いられないので、この映画に出て来るミヌとかジヌを漢字でどう書くのか知りません。逆に、例えば全羅道は「ぜんらどう」と日本語で発音しますが、韓国語でどう発音するのか知りません。
 中国に関して言えば、例えば日本人は「広州」を「こうしゅう」と日本語で発音していますが、「上海」は「しゃんはい」と中国語で発音しています。また人名についても、例えば「習近平」を「しゅうきんぺい」と発音しますが、中国語でどのように発音するのか知りません。逆に中国人は、例えば「小泉」といった名前を中国語で発音しているはずですが、このことが問題になることはありません。韓国が日本に韓国語での発音を求めた背景には、日本が植民地統治時代に、朝鮮に創氏改名や日本語の強制などを行ったからではないでしょうか。こうした言語や氏名に関わる問題は、文化の根幹に関わる問題なので、朝鮮の人々の心を深く傷つけたからだと思います。
 以上に述べたことは、すべて私の推測であり、根拠は何もありません。



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