2016年8月27日土曜日

映画「サルバドールの朝」を見て

2006年にスペインで制作された映画で、反政府活動のメンバーだった一人の青年が処刑されるという話ですが、これは実話に基づいており、主人公の青年は1974年に実際に処刑された青年でした。
16世紀にスペインは空前の繁栄の時代を迎えましたが、17世紀以降急速に衰退していき(「スペイン黄金時代」を読むhttp://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2015/03/blog-post_18.html)19世紀にはヨーロッパでも最も後進的な国の一つとなっていました。スペインの抱える問題は、中世以来の貴族による土地支配とカトリック教会による住民の呪縛、さらにバスクやカタルーニャなどの分離運動など、さらに20世紀になると労働運動や無政府主義の運動が激化し、スペインの混乱は収拾困難な状態になっていました。1931年に無血革命が成功し、ブルボン朝は崩壊して共和国が成立しますが、相変わらず国内は混乱していました。そうした中で、1936年に左派・中道による人民戦線政府が成立すると、軍部のフランコが反乱を起こし、スペイン内戦が勃発します。この内戦は、結局1939年にフランコの勝利に終わり、以後1975年のフランコの死まで、彼の独裁体制が続きます。スペイン内戦については、「「スペイン戦争 ジャック白井と国際旅団」を読む」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2015/03/blog-post_25.html)、「「バスク大統領亡命記」を読んで」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2015/04/blog-post_8.html)を参照して下さい。
 フランコ体制下のスペインは、軍部・地主・カトリック教会・様々な保守派の均衡の上に成り立ち、ほとんど中世の社会がそのまま残っているようでした。経済的には自給自足を目指していましたので、完全に崩壊し、対外的にはファシズムの生き残りとして白い目で見られ、風見鶏的な政策のため、どの国にも信用せれず、国際的に孤立していました。それでも後半には、冷戦のおかげでアメリカの支援を受けて多少状況は改善されますが、本質的には何も変わりませんでした。 
 心の問題も見過ごせません。内戦では親子・兄弟が互いに敵味方として戦いました。戦後、その傷を癒すのは容易ではありませんでした。また、このブログの「「子供たちのスペイン戦争」を読んで」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2016/08/blog-post_24.html)でも述べたように、子供たちの心にも深い傷が残りました。そしてサルハドールの父は、人民戦線側で戦い、戦後収容所に入れられ、死刑の宣告を受け、銃殺直前に恩赦されますが、この間に性格が一変し、恐怖のため心が死んでしまいます。内戦後、多くの人々が、この父と同じような状態になり、あらゆる不条理に眼を背けて生きてきたのだと思います。
 一方、フランコは焦っていました。彼は高齢であり、病気がちであり、彼の死は目前に迫っていたからです。フランコ体制は、一定のイデオロギーや組織理論に基づいた体制ではなく、まさにフランコ個人によって成り立っている体制でしたから、彼が死ねば体制そのものが崩壊します。そこでフランコは、ブルボン家の公子を国王にして王政を復活させ、自らの腹心であるカレーロ・ブランコを事実上の後継者として実権を握らせ、自らの独裁路線を継続させる構想を描いていました。しかし、まもなくこの計画は挫折することになります。
 サルバドールは、カタルーニャの反政府組織の一員として、資金稼ぎのために銀行強盗を繰り返していました。最初は軽い話で、大した計画もなく銀行を襲撃し、大金が詰まったバッグを見て大はしゃぎしていました。サルバドールには高邁な理想とか政治的信念はなく、反政府のビラを配っていた友人が警察により窓から突き落とされたのを知り、漠然とこの体制の不条理に立ち向かおうとしていました。そこには、不条理故に心が壊れた父への思いもあったかもしれません。要するに、不条理から対し、眼を背けて沈黙するか、行動するかの問題でした。
 1973925日に、サルバドールは逮捕されます。フランコを倒すためとはいえ、銀行強盗は正当化できませんし、逮捕の混乱の際に警官を射殺しているため、彼の死刑は免れません。ところが、死んだ警官の遺体に、彼の拳銃から発射された銃弾以外に、同僚の警官たちの銃弾が撃ち込まれていました。警察はその証拠を隠蔽し、サルバドールを陥れようとしていたのです。彼の家族や友人は、あらゆる手段を用いて彼を救出しようとし、国際世論も彼の助命を求めるようになります。
 しかし、197312月に、バスクの反政府組織がカレーロ・ブランコを暗殺します。これによって、フランコの後継者計画は頓挫し、怒り狂ったフランコは何が何でもサルバドールを生贄にする決意をします。サルバドールとバスクの反政府組織とは何の関係もありませんでしたが、フランコにとって彼は処刑されねばなりませんでした。まさに不条理です。もはやどのような方策も、フランコの決定を覆すことはできませんでした。そして197432日の朝、サルバドール処刑の朝がきます。彼は穏やかでしたが、彼が望んだのは英雄として死ぬことではなく、生きて刑務所を出ることでしたが、彼の望みは叶えられませんでした。23歳でした。
 サルバドールは、彼が望まなかった英雄となり、彼の死をきっかけにフランコに反発する運動は一層高まりました。そして197511月、フランコは死亡しました。83歳でした。フランコは、自分の死後王政に戻すこと、そして後継者としてブルボン家のファン・カルロスを指名しており、それに基づいてファン・カルロス1世が即位します。大方の予想では、新国王はフランコの政策を継承し、スペインは何も変わらないだろうと言うものでした。ところが、ファン・カルロスは民主化を指示し、スペインは一夜にして独裁国家から、民主主義国家への道を歩き始めたのです。その意味で、サルバドールの死は、彼自身が望まなかったとしても、スペインの民主化の象徴となりました。映画は、普通の青年であるサルバドールが、生きていたいと願いつつ、結局処刑される姿を描き出しています。



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