1962年に制作された映画で、1637年に勃発した島原の乱の指導者天草四郎時貞を描いています。ただこの映画は、60年安保闘争と重ねている節があり、内容に無理なこじつけがあるように思いました。
島原はキリシタン大名有馬氏の領地でしたが、1614年に有馬氏が転封となり、代わって松倉重政が入封しました。彼は言語道断の悪政を行い、その子勝家は父を凌ぐほどの悪政を行ったため、反乱鎮圧後、責任を問われて斬首されます。江戸時代を通じて斬首された大名は、彼だけです。一方天草は、キリシタン大名小西行長の領地でしたが、行長が関ヶ原の戦いで敗北し斬首されたため、当時は唐津藩の領地となっており、ここでも悪政が行われていました。
島原にも天草にも、有馬氏や小西氏に仕えていた多数の武士が、浪人となって住んでおり、彼らが島原の乱で大きな役割を果たしたようです。天草四郎(益田四郎)は、小西行長の遺臣・益田甚兵衛の子として生まれました。彼については伝説の方が多く、実像はほとんど分かりません。彼が様々な奇跡を行ったとか、実は女だったとか、荒唐無稽な話が多すぎます。映画では、彼が反乱軍を指導したことになっていますが、彼はまだ10代半ばの少年にすぎず、多分反乱軍の象徴として担ぎ出されたというのが、事実に近いだろうと思われます。ただ、何故彼が象徴になりえたのかについては、よく分かりません。また、島原の乱はキリシタンの反乱と言われることが多いのですが、キリシタン以外の人々も相当数参加しており、農民反乱とも言われますが、多数の武士も加わっていますので、この反乱が何だったのかについて、私にはよく分かりません。ただ、この反乱で戦国時代来の膿が一気に噴き出し、これを鎮圧することで幕藩体制が確立していったのかもしれません。
映画では、反乱を起こすべきかどうかで、四郎や農民たちとの間で激しい議論が行われますが、学生の集団討論のようでした。四郎の意見には一貫性がなく、反乱を起こそうとしているのか、止めようとしているのか、よく分かりませんでした。どうもこの監督(大島渚)の映画は、問題意識ばかりが先走って、空振りすることが多いようで、率直に言ってつまらない映画でした。
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