この映画は、1953年に上田秋成原作の「雨月物語」を映画化したものです。上田秋成は、江戸時代後期の読本作家で、ほぼ同じ時代に山東京伝や曲亭馬琴がいますが、この二人は江戸で活躍したのに対し、上田秋成は大阪で活躍します。江戸時代後期に流行した読み物は戯作と呼ばれ、洒落本、滑稽本、談義本、人情本、読本、草双紙などに分類されますが、その中で読本は文章中心で、中国の白話文学の影響を受け、他の戯作に比べると文学性が高いとされます。
上田秋成は商家の養子として育ち、30歳代頃から執筆活動を始め、1768年頃から1776年、43歳の頃までに「雨月物語」を執筆します。この間、彼は医療を学び、医師を続けると同時に、旺盛な執筆活動も続け、1609年に死亡します。76歳でした。同じ時代に生きた曲亭馬琴や葛飾北斎に比べると、比較的穏やかな一生だったと思います。
「雨月物語」は、中国の白話小説に日本の民話を加えつつ、日本風にアレンジしたもので、流麗な文体で書かれています。「雨月物語」というタイトルは、「雨がやんで月がおぼろに見える夜に編成したため」ということだそうです。「雨月物語」は全5巻9編からなりますが、映画では「浅茅(あさぢ)が宿」と「蛇性の婬」という2編を組み合わせて、別の話に作り替えています。「浅茅が宿」は、夫が一旗揚げるために商売に出ますが、戦乱に巻き込まれて帰ることができず、ようやく帰った時には、荒れ果てた家で妻が亡霊となって待っていた、という話です。なお、「浅茅」とは植物の名ですが、荒涼たる風景を意味します。「蛇性の婬」は、男が蛇の化身である女につきまとわれますが、最後は道成寺の僧侶に退治されるという話です。
映画での時代は戦国時代、琵琶湖北岸のある村の貧しい農民だった源重郎は、焼物を造って売ったところ意外と儲かったので、さらに多くの焼物を造って金もうけをしようと思いました。彼の義理の弟藤兵衛は武士になることを望んで村を出、妻の阿浜もついて行きますが、途中ではぐれてしまいます。藤兵衛は何とか武士になることに成功しますが、阿浜は雑兵たちに乱暴され、その後遊女に身を落とします。一方、源重郎は町で焼物を売っていたところ、美しい高貴な女性に誘われ、彼女の屋敷に住みつくようになり、甘美な日々を過ごしますが、まもなく彼女が戦争で殺された女性の亡霊であることを知り、逃げ出して故郷に戻ります。故郷の家では妻の宮木が家を守っていましたが、夜が明けると宮木の姿が見当たりません。村の人に尋ねると、彼女は雑兵に殺されたのだと言います。彼は、妻の霊と一夜を明かしたのでした。そして藤兵衛は、妻の運命を知り、妻とともに故郷に帰ります。
映画では、戦乱と欲望に翻弄される人々、現実の世界と空想の世界、そして生きた人間と霊との交流が、理屈を抜きにして、非常に美しい映像で描かれています。
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