2016年3月9日水曜日

「義賊マンドラン」を読んで

千葉治男著 1987年 平凡社 サブタイトル「伝説と近世フランス社会」
 本書は、18世紀半ばのフランスに出現したマンドランという盗賊を題材として、彼が「義賊」と呼ばれるようになった近世フランス社会を論じています。
 義賊とは、ウイキペディアによれば、「国家や領主などの権力者からは犯罪人と目され、無法者とされながらも、大衆から支持される個人及びその集団」だそうです。また、義賊は資本主義の発展過程で現れるという説もありますが、義賊はヨーロッパだけではなく、日本にも石川五右衛門とか鼠小僧といった義賊がおり、またこのブログの「映画で近世東欧を観て バンディット」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2015/10/blog-post_10.html)も、資本主義の発展とはあまり関係がないように思われます。
 マンドランは、アルプス山地を根城とした大武装密輸団で、フランスに何回も大密輸遠征を繰り返した人物で、当時のフランス政府を震撼させました。マンドランの父は商売で繁盛していましたか、戦争や徴税請負制度の非情さの故に没落しました。そしてマンドランは、この徴税請負制度をあざ笑うかのごとく、大武装密輸団を率いて密輸を行っていたわけです。本書は、徴税請負制度や密輸について詳しく説明し、民衆に憎まれていた徴税請負制度を愚弄するマンドランは、悪を懲らしめ正義を行う義賊という、マンドラン伝説を生み出しました。
 また、密輸が行われる時期は、農閑期に集中していますが、このことは農民が密輸に深く関わっていることを意味します。農業だけでは生活を維持できない農民が、密輸に関わって生活の足しにしていたようで、これもマンドデランが人々に人気があった理由の一つと思われます。ただ、マンドランを職業的密輸人と見ることはできません。密輸人は密かに行うものですが、彼は白昼堂々と大密輸団を率い、人々の怨嗟の的である徴税請負人を襲います。つまり彼は、密輸人を装った反逆者だったのです。
 そして、1755年に彼が処刑された後、マンドランに関する大衆向けの本が多数出版され、実際には彼は民衆のために戦ったわけではないのですが、義賊として人々の人気を博し、こうしてマンドラン伝説なるものが形成されていった分けです。一般に義賊と呼ばれる人々の伝説は、同じような形で形成されていったものと思われます。



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