2015年10月3日土曜日

映画で17世紀のイギリスを観て

クロムウェル〜英国王への挑戦〜

2003年のイギリス・ドイツによる合作映画で、1640年にイギリスで始まった清教徒革命(ピューリタン革命・イギリス革命)の中心人物クロムウェルを描いており、原題は「To Kill a King」です。
清教徒革命については長い論争の歴史があり、その評価については未だに決着がついていません。清教徒革命と呼ばれるものは、市民革命なのか、宗教戦争なのか、はたまた単なる内乱なのか、地域間の対立なのか、ジェントリ間の対立なのか。またイングランド・スコットランド・アイルランドの対立も深く関わっています。これらのことについて論じるのは、私の能力を超えていますので、ここでは映画についてだけ述べたいと思います。
イギリスでは、官僚制度や常備軍の整備が遅れており、逆に議会が大きな力を持っていました。ただ議会の招集と解散は国王の権限だったため、当時の国王チャールズ1世は、12年間も議会を招集しませんでした。しかしイギリスでは国王の歳入源は限られているため、非常時で緊急の歳入が必要な場合、議会の同意が得られれば課税することができました。当時スコットランドの反乱で戦費が不足したため、課税が必要となりましたが、そのためには議会を招集しなければなりませんでした。その結果、招集された議会と国王が対立し、内戦が勃発することになります。
クロムウェルは、イングランド東部の富裕なジェントリで、敬虔な清教徒であると同時に、正義感の強い人物だったようで、議会派軍に加わります。1642年に内戦が始まりますが、当初は国王派が優勢でした。国王派の軍隊は装備が優れ、実戦経験を積んでいるのに対し、議会派軍は装備が悪く、兵士は農民や職人などで、国王軍に太刀打ちできませんでした。当初クロムウェルは騎兵隊の隊長でしかありませんでしたが、彼は故郷に帰って自費で兵士を集め、鉄騎隊と呼ばれる機動力のある軍隊を創設します。この軍隊を率いてクロムウェルを次々と勝利を重ね、国王を処刑し、1649年に共和制を成立させます。
映画では、クロムウェルには政治的な野心はなかったようで、戦争が終わると故郷に帰ってしまいます。しかし、議会による統治が混乱を極めたため、クロムウェルを国王にしようとする動きがありましたが、クロムウェルはこれを拒否し、1653年に護国卿として独裁権力を握ります。そして映画は、護国卿としてクロムウェルは多くの政治改革を行い、今日のイギリスの基礎を築いた、として終わります。しかし彼の厳格な政治は国民には評判が悪く、1658年に彼が死んだ後、息子のリチャードが護国卿となりますが、王政復古への要望が高まり、リチャードは亡命し、1660年に王政復古が行われることになります。
クロムウェルについての評価は、時代や立場の相違により相反しています。王政復古後にはクロムウェルの墓が暴かれ、その首が晒され、議会も国王を処刑したことは不名誉なことであると考えました。その後、国王が再び専制を強化しようとした時、議会は一致して国王を追放し、新たな国王を迎えました。そして、議会は不名誉な清教徒革命に対して、自分たちの行為を名誉革命として自画自賛したわけです。そして今日に至るまで、クロムウェルは、偉大な指導者か残虐な独裁者かで、評価が対立したままのようです。
映画では、クロムウェルが国王を処刑するに至るまでの苦悩が描かれていました。そもそも国王の権力は、何に由来するのか。神によって与えられたものなのか、人民によって委ねられたものなのか。もし神によって与えられたものなら、議会が勝手に国王を廃位したり処刑したりすることは許されません。そして、1649年の国王処刑をきっかけに、長い年月をかけて、国王の権力は人民によって委ねられたものである、という考えが定着していくことになります。

リバティーン

2004年にイギリスで制作された映画で、王政復古時代に活躍した詩人で劇作家であるロチェスター伯爵ジョン・ウィルモットの半生を描いています。映画では、「パイレーツ・オブ・カリビアン」のジョニー・ディプが、凄まじい演技を行っています。なお、「リバティーン」とは「放蕩者」という意味です。
イギリスの人々は、長い内戦とクロムウェルの厳格な統治のもとで、息がつまっていました。そうした中で王政復古が行われると、人々は一気に解放された気分になり、またチャールズ2世が演劇・美術・科学・性愛などを奨励しましたので、一気に文化が花開くことになります。ニュートンが活躍したのも、この時代でした。しかし同時にこの時代は、戦争・疫病・政治対立・経済不況・退廃も横行した時代でもあります。チャールズ2世は、1662年にポルトガルの女王と結婚しますが、結婚の前にも後にも多くの愛人がおり、14人もの子供を産ませています。宮廷は乱れ切っていました。こうした雰囲気のなかで、ジョン・ウィルモットが登場するわけです。
まず映画の冒頭で、ウィルモットは衝撃的な独白をおこないます。「初めに諸君に断っておく。私を好きにはなれまい。男は嫉妬し、女は嫌悪する。物語が進むにつれ どんどん私が嫌いになる」と。ウィルモットの父は、亡命時代のチャールズに仕えた人物で、いわばチャールズ2世にとっては恩人であり、したがってその子には特別目をかけます。ウィルモットは相当の秀才だったようで、ギリシア語やラテン語の古典に精通し、14歳でオックスフォード大学の文学修士となったそうです。その後軍隊に入り、数々の戦いで非常に勇敢にふるまいますが、この頃から「魂の不滅に深刻な疑念を抱くようになった」(ウイキペディア)とのことです。また、この頃彼は国王の寝室係侍従に任命されますから、チャールズ2世を初めとする、宮廷の退廃を目の当たりにしたことでしょう。
1667年、二十歳の時、巨額の遺産を相続したエリザベス・マレットと結婚し、その後13年間、彼は放蕩三昧の生活をすることになります。ロンドンの町を徘徊し、酒を浴びる程飲み、性に関してはバイセクシャルだったとされます。また演劇に夢中になり、彼自身も台本を書いています。シェイクスピアの時代には、女性が舞台に立つことは禁じられていましたが、王政復古の時代に認められるようになります。その結果女優という職業が生まれ、舞台は今までとは相当異なったものとなります。そして、彼か書く台本は、ほとんどポルノでした。彼が、演劇に何を求めていたか分かりませんが、映画で彼は次のように述べています。「人生はむなしいから、芝居で心を動かされたい。この黄金時代を冷ややかに笑っているだけだ。チャールズと神が与えし公正かつ豪華な料理には、吐き気がするばかりだ。人生には何の意味もない。何をしようと結果は同じで、人の行動には何の力もない。だが芝居小屋では、善も悪もすべてに結果がついてくる。芝居は俺にとって病を治す唯一の薬だ。」これもあまり意味が分かりませんが、この退廃した世界で、彼なりのやり方で、真実を語ろうとしたのかもしれません。
 この間に、政治も動いていきます。チャールズには14人もの子供がありながら、すべて庶子で嫡子がいませんでした。チャールズは弟のジェームズを後継者にしようとしましたが、ジェームズはカトリックであるため、議会が反対します。それでも、結局1685年にチャールズが死ぬと、ジェームズが国王となります。これに対して議会はジェームズを廃位し、オランダに嫁いでいたジェームズの娘メアリを、夫のウィリアムとともに国王に迎えます。これが名誉革命と呼ばれるものですが、この間にウィルモットは梅毒に犯され、1680年に33歳の若さで死にます。映画では、彼は妻に「真実を語ろうとして、真実に裏切られた」と言って死んでいきました。
 最後の画面で、再びウィルモットは「これでも諸君は私が好きか」と言って、映画は終わります。結局、私にはウィルモットが何を言いたかったのかよく分かりませんでしたが、映画自体はかなり衝撃的でした。ジョニー・ディプというのは、なかなかの名役者だと思いました。


ロブ・ロイ/ロマンに生きた男
1995年にアメリカで制作された映画で、17世紀末から18世紀初頭にかけて活躍したスコットランドの民族的英雄ロブ・ロイを描いたものです。スコットランドについては、このブログの「映画で西欧中世を観て ブレイブハート」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2015/07/5.html)を参照して下さい。
17世紀初頭、エリザベスの死後スコットランドのステュアート家ジェームズ1世がイギリス王となり、次のチャールズ1世の時代に清教徒革命が起きます。この間、チャールズ1世は一時スコットランドに拠点をおいて議会派軍と戦ったため、クロムウェルはスコットランドを制圧し、これをイングランドに併合します。1660年にチャールズ2世により王政復古が果たされますが、次のジェームズ2世がカトリック教徒であったため、1688年に彼は議会によって廃位され、フランスに亡命します。そしてフランスから、自らの国王復帰を求めて様々な策動を行い、これを支持する人々はジャコバイトと呼ばれました。ジャコバイトとは、ジェームズのラテン名(Jacobus)に由来します。そしてジャコバイトが最も多かったのが、スコットランドでした。特に、1707年にスコットランドがイングランドと合同して、グレートブリテン王国となると、スコットランド人の不満は一層強まります。
主人公のロブ・ロイが住んでいたのは、スコットランド北部のハイランドで、ここは山岳地帯で冬の寒さは厳しく、冬には餓死者が出る程貧しい生活を強いられていました。ロブ・ロイは、一つの聚落のリーダーで、村を貧困から救うために苦労していました。そしてここにも政治の対立が波及していました。イギリス系の領主は名誉革命支持派ですが、スコットランド系の領主にはジャコバイトが多く、ロブ・ロイも一応ジャコバイトでしたが、彼にとってそんなことはどうでもよく、領主(イギリス系)から金を借りて、村で牛を飼おうと考えていました。しかし彼は陰険で強欲な領主に騙され、逆に犯罪者として追われる身となってしまいます。
 彼は山に逃れますが、領主の軍隊は彼の家を襲い、妻を辱めます。これに対して、彼は領主の輸送隊を襲ったり、牛を奪ったりして領主に復讐しますが、やがて捕らえられ、拷問されます。しかし彼は脱出し、ジャコバイトの領主に頼り、復讐を果たして、家族のもとに帰ります。物語は単純で、粗野ではありますが、誇り高いハイランド人を描いているわけですが、問題の出発点である生活苦の問題は何も解決しておらず、後味の悪い映画でした。ただ、アクション映画として観れば、それなりに面白い映画ではありました。

 スコットランドのジャコバイトは、1715年と1745年に反乱を起こしますが鎮圧され、スコットランドのイギリス化は決定的となります。特にこの頃から、スコットランドを中心に産業革命が起き、経済的に繁栄します。飛び梭を発明したジョン・ケイも蒸気機関を実用化したワットも、スコットランドの出身です。


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