はじめに
モンゴルに関する映画を二本観ました。「白い馬の季節」と「トゥヤーの結婚」です。モンゴルとはいっても、中華人民共和国の内モンゴル自治区ですので、国にとしては中国です。
モンゴル高原は、東アジアの北に位置し、標高1000メートルほどの広大な草原地帯です。この地域は古くから遊牧民族の生活の場であり、多くの民族が興亡しましたが、とりわけ13世紀に出現したモンゴル族が大帝国を築き上げ、以後この地域はモンゴルと呼ばれるようになります。その後、この地域で活躍した民族の多くがチンギス・ハンの子孫であると自称するようになります。17世紀末から18世紀の半ばにかけて、モンゴルは清の支配下に入り、内モンゴルと外モンゴルに分けて統治しますが、これが現在のモンゴルの原型となります。
清朝は、漢人がモンゴルに入植することを規制していましたが、アヘン戦争以来の弱体化を立て直すため、漢人の入植を奨励し、そのため牧草地が減少していきます。こうした中で、清朝に対するモンゴル人の反発が強まり、1911年に辛亥革命が起きると、モンゴルは独立を宣言し、外モンゴルの自治が認められます。1917年にロシア革命でソ連が成立すると、その影響を受けて、1924年に外モンゴルに社会主義政権が成立し、モンゴル人民共和国となります。しかしこの国は、スターリンの要求で厳しい社会主義路線を強行し、社会・経済は疲弊し、しばしば反乱が起きます。そして1989年に、ソ連のペレストロイカの影響で民主化が始まり、1992年には社会主義を捨てて国名をモンゴル国と改めました。その後急速に市場経済化が進み、また中国を筆頭とする外国資本が進出し、貧富の差が急速に拡大しつつあります。また草原の砂漠化も急速に進行し、牧畜も大きな打撃を受けています。
なお、朝青龍など日本で活躍する相撲取りは、この外モンゴル出身です。
一方、内モンゴルは、結局独立することが認められず、中華人民共和国内の自治区となっています。外モンゴルとの統一の動きは、徹底的に弾圧されてきました。ただ、政府による漢人の移住策のため、内モンゴル自治区では漢人が全体の8割に達しており、今やモンゴル人は少数派になってしまいました。石炭など豊富な天然資源を埋蔵しているため、内モンゴルは外モンゴルに比べて経済的に豊かですが、経済の中枢は漢人に握られています。また、牧草地を農耕用に変えていったため、遊牧民の生活は、しだいに困難となりつつあります。ここで紹介する二本の映画は、いずれも内モンゴル自治区の滅びゆく遊牧民を扱っています。
ところでチンギス・ハンについて、モンゴルではどのように扱われているのでしょうか。外モンゴルでは、社会主義政権のもとで長い間チンギス・ハン崇拝は禁止されてきました。そもそもロシア自体がモンゴル帝国の支配下に置かれましたので、あのような「野蛮人」を崇拝することは許しませんでした。しかし、1989年の民主化後、ようやくチンギス・ハンが復活してきました。一方、内モンゴルでは、今日に至るまで、チンギス・ハン崇拝は認められていません。中国も、かつてモンゴル帝国に支配されましたので、やはりあのような「野蛮人」を崇拝することを認めません。政治というものは、なかなか厄介なものだと思います。
白い馬の季節
2005年に中国で制作された映画で、草原の砂漠化が進行する中で苦闘する遊牧民の家族を描いています。
砂漠化は世界中で起こっており、それは基本的には気候変動によるものと思われますが、直接的には人為的な要因によるものです。内モンゴルの場合、大量の漢人が流入し、土地開墾を行ったことが原因のようです。遊牧は、広大な土地で羊を飼い、彼らを移動させながら生活しますが、農業の観点から見れば、非常に効率の悪い生産形態です。土地を手に入れた漢人は、まず羊が入らないように土地を有刺鉄線で囲い、水を引いて大規模な農業開拓を行います。ところが、この辺りはかつて海や湖があった所で、草原の下には砂が堆積しており、表土が剥がれると砂の層が露出し、この地方特有の強風により砂が運ばれて、砂漠化が進行するそうです。
映画では、場所は特定できませんが、かなり大きな町まで歩いて行ける範囲内の場所で、ウルゲンと妻インジドマーとその子フフーが遊牧民として暮らしています。モンゴル帝国時代とほとんど変わらないパオ(ゲル)に住み、財産といえば20頭ほどの羊と、白い馬と牛くらいです。ここでも草原の砂漠化が進み、最近雨がほとんど降らないため、羊が毎日のように飢え死にしています。フフーは学費が払えないため、学校にいけません。社会主義国家で、義務教育レベルで学費が必要なのかと思いますが、どうもそのようです。そこで学費のために馬を売ろうとしますが、この馬はもう20歳くらいの老馬で、家族同然であり、なかなか売ることができません。こうした中で、周囲の遊牧民は、羊を売って町に出ていく人が増えてきました。町には自動車が行き交い、ビルが立ち並び、ディスコまであります。ここから歩いて行ける距離に、ウルゲンのような生活が存在することが信じられません。
ウルゲンは、このままでは羊が死んでしまいますので、夏の放牧地に移動しようとしますが、そこは有刺鉄線で囲まれており、入ることができません。政府が、牧草を保護するためと称して、この土地を国有化してしまったのです。砂漠化が進む中で、牧草を保護するためというのは一理あるのですが、おそらくこの土地は腐敗した役人によって漢人農民に売り渡され、農耕地となっていくのでしょう。ウルゲンには、この土地が自分の牧草地であることを証明する書類などありません。先祖代々この土地を牧草地として使っているだけです。これでは遊牧民が生きていく道はありません。政府が、はっきりと遊牧を否定したのです。
結局、ウルゲンたちは町に出ていくことにしました。ただ、馬は離して、自由にしてやることにしました。この映画では、大人しい白馬が、いつもじっと見つめているかのように映し出されます。そして離した後も、白馬はウルゲンたちが去って行った道をとことこと歩いていき、そこで映画は終わります。馬とともに生きる遊牧の時代は終わったのです。
トゥヤーの結婚
2006年に中国で制作された映画で、これも砂漠化が進行する中での、遊牧民の家族を描いています。
この映画での家族は、夫のバータル、妻のトゥヤー、そして二人の幼い息子です。乾燥化で水源がなくなったため、バータルは家の近くに井戸を掘ろうとして足に怪我をし、働けなくなってしまいます。それ以降、トゥヤーが一家を背負うことになります。毎日、15キロ以上離れた水源で水を汲み、ラクダに乗せて家に運びます。これを一日三回行います。水がなければ、人間も羊もいきていけません。しかし、彼女は力仕事で腰を痛め、彼女も遊牧の仕事を続けることができなくなりました。
そこで、夫のバータルと離婚し、別の男性と結婚して、その男性に夫や子供たちの面倒を見てもらおうと考えました。彼女は器量よしで、気立ての良い女性でしたから、たくさんの男性から求婚されましたが、彼女が前の夫と一緒に暮らすことを条件としていましたので、すべて破談となりました。確かに、前の夫を金銭的に援助することができても、一緒に暮らすとなると、これは中々難しいように思います。結局、彼女は家族を心から愛し、家族が離れ離れになることを、受け入れられなかったのだと思います。
結局、近所のセンゲーという男性が彼女に求婚します。センゲーは、前々からトゥヤーが好きだったのですが、浮気ばかりしている奥さんとなかなか別れられず、トゥヤーも軽薄なセンゲーを信じることができませんでした。しかしセンゲーは妻と別れ、トゥヤーもバータルも子供もすべて自分の家族として引き受けることを約束します。こうして結婚式の日がきました。バータルやトゥヤーは、何を思っていたことでしょう。突然外で子供たちが喧嘩をしている声が聞こえ、トゥヤーが仲裁に入りました。子供は喧嘩の相手に、「父親が二人いて悪いか」と言います。多分、これが喧嘩の原因だったのでしょう。
「父親が二人いる」ということは、彼女にとっては「夫が二人いる」ということです。そして、今まで弱音を吐いたことのないトゥヤーが突然号泣し、映画はここで終わります。この涙は一体何なのでしょうか。夫を助けるためとはいえ、結局四人で築き上げてきた家族を壊すことに対する悲しみだったように思います。結局彼女も、草原の砂漠化の犠牲者だったと言えます。
前に観た「白い馬の季節」は、町に近い所に住んでいながら、何百年も前の遊牧民と変わらないような生活をしていました。しかし、「トゥヤーの結婚」は、時代的には「白い馬の季節」と同じだと思いますが、ラジカセらしいものは置いてあったし、「白い馬の季節」に比べれば、もう少しましな生活をしていました。これは対称とした場所による違いかもしれませんが、「白い馬の季節」を牧歌的に描きたいという制作者の意図なのかもしれません。いずれにしても、内モンゴルで遊牧を続けていくことは、もはや困難であることは、間違いありません。
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