1937年にアメリカで制作された映画で、中国の農民の姿を描いていますが、映画で使用されている言語は英語です。この映画は、1931年にアメリカの作家パール・バックによる同名の小説を映画化したものです。
パール・バックは1892年にアメリカで生まれましたが、父が宣教師だったため、生後3カ月で両親とともに中国に渡りました。パール・バックは、英語と中国語のバイリンガルの生活を送り、「生まれと祖先に関しては私は米国人だが、同情と感覚において私は中国人だ」と述べています。1932年に二作目の「大地」がベストセラーとなり、1934年に最終的に中国を離れ、1937年に本作が映画化されて、アカデミー賞を受賞します。
この映画の時代は、彼女が中国にいた時代であり、途中で辛亥革命(1911年)が起きますので、それを間に挟んだ50年間くらいです。主人公は、貧しい小作農民である王龍(ワンルン)で、地主の奴隷である阿藍(オーラン)を娶ることから始まります。二人は働き者で、一生懸命働いて少しずつお金を貯め、土地を買い足していきました。ところが飢饉のため生活ができなくなり、家族全員で南部の大都会に避難し、ここで乞食同然の生活をします。しかし革命が起き、その混乱の中で、たまたまオーランが宝石がたくさん入った袋を見つけ、それを故郷にもって帰ります。
故郷で農業を再開し、豊作が続いたため多くの土地を買って、ワンルンは今や大地主となります。さらにかつての地主の屋敷、オーランが奴隷として働いていた屋敷を買い取ります。しかしワンルンは次第に働かなくなり、色町に入りびたり、第二婦人まで持つようになり、子供たちも父に反発し、しだいに家庭が壊れていきます。こうした中で、再び危機が発生しました。イナゴの大群が押し寄せてきたのです。この危機に直面して、ワンルンに農民としての魂が蘇りました。彼は農民を総動員し、あらゆる手段を使ってイナゴの大群に立ち向かい、相当の被害を被りましたが、それでも何とかイナゴの撃退に成功します。
こうして、映画は、大地に張り付き、大地を唯一の拠り所として生きている一人の農民の姿が描き出されます。この時代の中国は、激動の時代でしたが、彼らには何の関係をありません。都会で極貧生活をしていた頃、こんな会話が交わされました。「革命って何だ。食えることらしい。革命って、金持の家に押し入って何を盗んでもいいことらしい。」パール・バックは冒頭で、「民族の精神は底辺の人々の生活に、より顕著に表れる。この中国の農民の物語に見い出せるのは、中国の魂……つつましさと勇気、古い伝承と明日へのたゆまぬ努力である」と述べました。
この物語の本当の主人公は、妻のオーランかもしれません。彼女は、幼い頃飢饉のため親によって奴隷として売られました。それ以来の彼女の人生は、忍従の日々でした。主人にこき使われ、のろまだと言われ、殴られ、罵られて生きてきました。彼女は小作人の嫁として与えられましたが、外の生活をほとんど知りませんでした。決して美しくはなく、いつもうつむき、口数が少なく、ほとんど微笑むことがありませんでしたが、大変働き者でした。彼女は2度だけ夫に頼みごとをしたことがあります。一つは、最初の子供が生まれた時、子供に綺麗な着物を着せて、前の主人に見せに行きたいということです。自分を踏みにじってきた人々に、自分が幸せであることを誇示したかったのでしょう。もう一度は、彼女が拾った宝石の中から、真珠を二粒だけ欲しいと求めました。彼女はそれで身を飾るのではなく、時々それを眺めるだけでした。その時が、彼女の至福の時だったのでしょう。彼女が結婚した日、夫が食べた桃の種を家の前に植えます。彼女が死んだ時、そこには立派な桃の木が育っていました。ワンルンは、桃の木の前で、「オーラン、オーラン、お前はこの大地だ」と述べて、映画は終わります。
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