2015年7月4日土曜日

映画で西欧中世を観て(2)

はじめに

 ここでは、ワーグナーのオペラを映画化した作品を、二本紹介します。ワーグナーは、19世紀ドイツのロマン派の音楽家で、主として中世に題材をとった彼の雄大なオペラは、日本にも多くの愛好家がいます。

 ワーグナーは、その才能がなかなか認められず、貧困と借金に苦しみ、ヨーロッパ各地を転々とします。彼の才能が開花するのは40代になって、バイエルン国王ルートヴィヒ2世の保護を受けるようになってからです。1871年にドイツが統一されるまで、現在のバイエルン州は独立国家で、その最後の国王が「狂王」と言われたルードヴィヒ2世です。「ルートヴィヒ」という映画があり、ルートヴィヒの即位から死に至るまでを描いた、実に237分という大作で、眠気を抑えるのが大変な映画でした。彼は政治には関心がなく、芸術をこよなく愛し、現在でも人気の観光スポットであるノイシュヴァンシュタイン城を建設するとともに、ワーグナーの保護者でもありました。今日に至るまで毎年開催されているバイロイト音楽祭は、ワーグナーがオペラ「ニーベルングの指輪」を上演するために開催され、以後ワーグナーのオペラのみが上演され続けています。




ノイシュヴァンシュタイン城
(ウイキペディア)















 オペラの上演には巨額の資金が必要であり、我儘で放蕩癖のあるワーグナーが思うが儘に仕事ができたのは、ルートヴィヒという強力な保護者がいたからでしょう。結局ルートヴィヒは、政治的にはバイエルンを滅ぼしましたが、彼の無駄としか言いようのない贅沢により、バイエルンを芸術の地に育てられ、今も多くの観光客を引きつけています。

 いつか機会があれば、映画「ルートヴィヒ」を紹介したいと思います。


ニーベルングの指輪


2004年にドイツ、イタリア、イギリス、アメリカによって制作されたテレビ映画で、ワーグナーの代表的なオペラを映画化したものです。このオペラは、26年の歳月をかけて作曲され、1874年にバイロイト祝祭劇場で上演されました。上演時間は15時間に及び、4日間に分けて上演されるという、とんでもないオペラです。ルートヴィヒのような強力な保護者なしには、とうてい上演されることはなかったでしょう。 
 このオペラのベースとなったのは、13世紀頃に生まれたとされる「ニーベルンゲンの歌」という叙事詩です。この叙事詩は前篇と後編からなっており、前篇はジーグフリードの物語、後編はジーグフリードの暗殺に対する妻クリームヒルトによる復讐の物語です。ドラマの舞台となったのは、5世紀半ばのブルグンド王国の都ヴォルムスだと思われます。ブルグンド王国というのは、ゲルマン民族の一派が建国した国で、フランス語でブルゴーニュといい、現在フランス東部にその地名が残っていますが、当時のブルグンド王国との直接的な関係はありません。いずれにせよ、この叙事詩はゲルマン民族大移動の混乱の時期に起こった事件であり、アーサー王やベオウルフより半世紀ほど前の事件ということになります。
前篇では、ジーグフリードはドラゴンを殺し、その血を浴びて不死身となり、また地下に住む小人族ニーベルングの宝や、姿を消すことができる「隠れ蓑」を手に入れます。そしてブルグンド国王グンテルの妹クリームヒルトと結婚します。ところがある日、クリームヒルトが兄王の妃ブリュンヒルトを侮辱したことから、大臣ハゲネがジーグフリートを暗殺します。ジーグフリートは不死身でしたが、ドラゴンの血を浴びた時、背中に木の葉がついており、その部分だけが不死身ではなく、大臣はそれを巧みにクリームヒルトから聞き出していたのです。さらに大臣は、ジーグフリートの宝がクリームヒルトの手に入らないように、それをライン川に沈めてしまいます。
後編では、クリームヒルトはハンガリーを支配するフン族の王エッツェルと再婚します。エッツェルはフン族の王アッティラのことだとされます。クリームヒルトはエッツェルをそそのかし、ブルグンド王や大臣を招待させ、ブルグンドの使節を皆殺しにします。彼女は、捕虜となったグンテルとハゲネからジークフリートの宝の在りかを聞き出そうとしますが失敗し、二人とも殺してしまいます。これに対して、騎士ヒルデブラントは、無抵抗な捕虜を殺害したことに怒り、クリームヒルトを殺してしまいます。こうしてニーベルンゲンの宝に関わる人々は、ことごとく死んでしまいます。この叙事詩が成立した12世紀頃のヨーロッパでは、キリスト教道徳を重んじる騎士道文学が盛んでしたが、「ニーベルンゲンの歌」には異教的な神々が定めた運命と、それにさからった人々の悲劇、そして凄まじい復讐劇があるのみです。

ワーグナーの「ニーベルングの指輪」は、基本的には「ニーベルンゲンの歌」を基盤としつつ、天空の神々と地上の英雄たち、そして地下のニーベルング族との関係を、壮大な規模で描いています。ここでは、「ニーベルンゲンの歌」には登場しない、世界の支配を可能とする「指輪」が重要な役割を果たします。また、「ニーベルンゲンの歌」では、ジークフリートとクリームヒルトが中心でしたが、「ニーベルングの指輪」ではブリュンヒルトが中心となります。「序章 ラインの黄金」では、ライン川の水底に眠る黄金と、それによって作られた指輪を巡る神々の物語です。「第1日 ワルキューレ」は女神たちの物語で、女神の一人ブリュンヒルトの運命とジーグフリートの誕生が語られます。「第2日 ジークフリート」では、ジークフリートの活躍とブリュンヒルトとの運命的出会いが語られます。「第3日 神々の黄昏」では、ジークフリートに対するブリュンヒルトの憎しみと、二人の死が描かれます。
 映画では、「第2日」と「第3日」が中心となり、神々は直接的には登場しません。ブリュンヒルトはアイスランドの女王ということになっていますが、この時代にアイスランドに人が住んでいたとは思えませんので、はるか彼方の「天」を暗示しているのかもしれません。ブリュンヒルトとジーグフリートは運命的な出会いをして愛し合い、いつか再開することを誓って一旦別れました。その後ジーグフリートはブルグンドへ行きますが、その国王グンテルの妹クリームヒルトが彼に一目惚れをし、大臣ハゲネの誘惑で惚れ薬を飲ませます。その結果ジーグフリートはブリュンヒルトへの愛を忘れ、クリームヒルトを愛するようになります。一方、グンテルは美女の噂の高いブリュンヘルトに求愛しますが、彼女は自分と戦って勝った男としか結婚しないと言っており、かつて彼女は負けたことがありませんでした。そこでジーグフリートは、隠れ蓑を使って姿を消し、グンテルを勝利させます。その結果、ブリュンヘルトはグンテルとの結婚を余儀なくされます。
 しかしこの結婚は彼女にとって地獄でした。ジーグフリートは別の女性を愛し、自分はグンテルと暮らさなければなりません。そうした中で、クリームヒルトはブリュンヘルトに嫉妬し、彼女を罵り、グンテルとの戦いでジーグフリートが助けとことを明かしてしまいます。激怒したブリュンヘルトは、王にジーグフリートを殺すことを要求します。しかし良心の呵責に耐えかねたクリームヒルトは、ジーグフリートに惚れ薬を飲ませたことを、ブリュンヘルトに告白します。しかしその時、ジーグフリートはハゲネの槍に貫かれ、その瞬間にブリュンヘルトとの愛を思い出して死んでいきます。絶望したブリュンヘルトは、ジーグフリートの死体とともに火の中に入って壮絶な最期を遂げます。そしてクリームヒルトは、呪いのかかったニーベルングの指輪をライン川に帰します。

 この時代には、ブルグンド人はすでにキリスト教を受け入れていましたが、ジーグフリートを初めとして、なお伝統的宗教が強い影響力をもっていました。ジーグフリートとブリュンヘルトの愛と死は、伝統的宗教によって定められたものであり、二人の死は旧い宗教の終わりを暗示しているように思われます。

トリスタンとイゾルデ

2006年にアメリカで制作された映画で、中世騎士道物語である「トリスタンとイゾルデ」と、同名のタイトルのワーグナーのオペラをベースとしています。サブタイトルの「あの日に誓う物語」というのは意味がよく分かりませんが、この映画のキャッチコピー、「愛は死より切なく、そして尊い。史上最も美しい、禁じられた愛の物語」「『ロミオとジュリエット』の悲劇は、ここから生まれた」というものです。
「トリスタンとイゾルデ」は、騎士道物語が盛んだった13世紀頃に成立しましたが、トリスタンは一応アーサー王の騎士ということになっていますので、5~6世紀のイギリスが舞台ということになります。当時のイギリスでは、多くの民族が侵入して離合集散を繰り返し、「暗黒時代」と呼ばれる混乱の時代でした。当時はアイルランドが強力で、イングランドが分裂して弱体化していることに付けこみ、イングランドに対する支配力を強めつつありました。トリスタンの父は、アイルランドに対抗するためイングランドの結束を図りますが、アイルランド人に殺され、トリスタンは叔父のコーンウォールの王マルクに育てられました。
やがてトリスタンは立派な剣士に成長し、侵略してきたアイルランド軍を撃退し、その大将を殺しますが、トリスタンも毒のついた剣で切られて瀕死状態となり、船に乗せられて水葬されますが、皮肉にもその船はアイルランドに漂着します。そしてアイルランド王の娘イゾルデが彼を見つけ、献身的な介護によって彼は回復し、やがて二人は激しく愛し合います。やがてトリスタンは故郷に帰りますが、イゾルデは最後まで自分の本当の名をトリスタンに明かしませんでした。そしてここから、二人の悲劇が始まります。
アイルランド王は狡猾な人物で、イングランドを分裂させるために策を用います。イングランドの諸侯たちをアイルランドに招き、戦って勝利した者に自分の娘を与えるというもので、諸侯は競ってこの競技に参加しました。そしてトリスタンは国王マルクの代理として競技に参加し、勝利します。トリスタンはこの時初めて王の娘がイゾルデであることを知り、イゾルデもトリスタンが王の代理であって、結婚する相手がトリスタンではないことを知ります。しかし今さら変更することは許されませんので、イゾルデはマルクに嫁ぎます。こうして二人の地獄のような苦しみが始まり、やがて二人は密会するようになります。マルクは誠実で優しい君主であり、二人にとってそんなマルクを裏切り続けることもまた地獄でした。
 しかしそうした状況は長くは続かず、密会現場を押さえられ、二人は捕らえられます。こうした内部の混乱に乗じて敵に城を攻撃され、味方の多くも王から離れていきます。そうした中でイゾルデは王に告白します。二人が出会ったのは王に会う前であり、すでにアイルランドで自分の心にはトリスタンしかいなかったことを。王は二人の苦悩を理解し、二人を逃がしてやりますが、トリスタンには王を見捨てて逃げることはできませんでした。映画では、彼は城に戻り、敵と戦って壮絶な死を遂げます。そこには、中世騎士道物語における主君への忠誠と女性への愛という二大テーマの葛藤が描き出されています。

 叙事詩の方は、少し結末が違います。その後トリスタンはイゾルデと分かれてブルターニュに渡ります。ブルターニュはブリタニアに由来し、アングロ・サクソン人の侵入によって追われた多くのケルト人がイングランドから移住し、今日でもケルト人の伝統が強く残っている所です。そのため、本島のことを大ブリテン、ブルターニュのことを小ブリテンということがあります。このブルターニュでトリスタンは同じイゾルデという女性と結婚します。区別するために、前のイゾルデを「金髪のイゾルデ」、後のイゾルデを「白い手のイゾルデ」と呼びます。トリスタンはここで重傷を負い、「金髪のイゾルデ」が治療のためにくることになりました。もし「金髪のイゾルデ」が船に乗っていれば白い旗を、乗っていなければ黒い旗を掲げることになっており、そして船には白い旗がたっていましたが、「白い手のイゾルデ」は嫉妬してトリスタンに黒い旗がたっていると伝えたため、トリスタンは絶望のあまり死んでしまいます。
 一方、ワーグナーのオペラには媚薬の話が出てきます。トリスタンは苦しみのあまり死のうとして毒薬を飲んだのですが、実はそれが媚薬で、これを飲んだために二人はついに越えてはならない一線を越えてしまいます。つまりワーグナーのトリスタンにとって、愛と死は常に一体だったのです。いずれにしても、トリスタンとイゾルデの物語は、非常にバージョンが多く、どちらにしても伝説ですので、どの話でもよいということです。

 映画は、先の「ニーベルングの指輪」と同様、非常に面白く観ることができました。シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」を観ているようでした。

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