2006年にイギリスでテレビ用に制作された映画で、500年に及ぶローマ帝国の盛衰を6つの事件を通じて描いています。6つの事件とは、第1話「ネロ」、第2話「シーザー(カエサル)」、第3話「革命(グラックス)」、第4話「ユダヤ戦争」、第5話「コンスタンティン(コンスタンティヌス)」、第6話「西ローマ帝国の滅亡」です。なお、「ローマ帝国」と言った場合、一般には「皇帝が統治する国」という意味で、オクタヴィアヌスが元首となった紀元前27年を指しますが、「帝国」を「多様な民族を支配する国」として捉えるなら、ポエニ戦争頃から「帝国」と呼んでも良いのではないかと思います。なお、「帝国」については、このブログの以下の項目を参照して下さい。
グローバル・ヒストリー 第6章 古代帝国の成立
グローバル・ヒストリー 第28章 帝国の崩壊とナショナリズム
第1話 ネロ
ネロは、1世紀の皇帝で、暴君として知られており、ドラマをこの皇帝から始めた理由は、一つには視聴者を引き付けるという意味もあったでしょうが、同時にネロの死はオクタヴィアヌス以来始まった帝政ローマの一つの転換点となりましたので、ドラマはネロから始まってその前と後を描くと言う形になっています。彼は54年に17歳で即位し、当初は名君と言われていましたが、やがて妻や母を死に追いやり、側近である大哲学者セネカを自殺させます。またローマに火をつけたと噂されたことや、キリスト教徒を迫害したこともあり、後世暴君と言われるようになります。
彼が後世暴君として酷評されたのは、やはりキリスト教徒による批判が強かったからです。ネロがローマに火をつけたという根拠はなく、映画でもローマの火事の場面から始まり、市民の救済に奔走するネロの姿が描かれていました。その後ネロは美しいローマを再建しますので、彼は意外にもローマ市民には評判がよかったようです。キリスト教の迫害についても、むしろ市民の大多数が、ローマの神々にまったく敬意を示さないキリスト教徒を憎んでいたようです。後にキリスト教が天下を取ると、こうした事実はすべて無視され、すべてがネロの異常性に原因があるかのように言われるようになります。こうしたことに対する反省もあってか、映画でもキリスト教についてはまったく扱われていません。この時代には、キリスト教は何万もあるローマ神々の一つでしかありませんでした。
ただ彼は、皇帝の地位が何であるかを理解していませんでした。彼は芸事をこよなく愛し、何度も演奏会を開いて自ら歌ったり、演技を行ったりしました。はっきり言って彼には芸術についての才能はほとんどなかったと思われますが、周囲の人々はけっして直言しないため、自己陶酔に陥ってしまいます。演奏会には貴族たちに出席を強制し、途中退場を禁止したため、後に皇帝となるウェスパシアヌスは、あまりの退屈さに居眠りをして追放されてしまいます。要するにネロは、皇帝にまったく向いていなかったのだと思います。むしろ彼は大道芸人にでも生まれていれば、幸せだったのかもしれません。事実、彼の催し物には、キリスト教の迫害を含めて、大衆には結構人気がありました。
オクタヴィアヌスに始まる元首政は、事実上皇帝の独裁ですが、独裁を嫌うローマ人に配慮して、あくまでも元老院との共同統治という形をとります。また、すでに実力を失っていた元老院にとっても、こうした元首を守ることによって、かろうじて彼らの権威を維持していたのだと思います。オクタヴィアヌス以来5代100年近く続いたこの体制は、ネロの死とともに崩壊し、以後軍人が皇帝を擁立する混乱の時代を迎えることになります。
第2話「シーザー(カエサル)」
ネロの時代より100年以上前に遡ります。当時のローマは混乱の極みにありました。ローマの政治形態は非常に複雑ですが、思い切り単純化して言えば、貴族である元老院が実権を握り、これに民衆が平民会を基盤に対抗し、もはやローマは内乱状態にありました。こうした中でも、属州の反乱や奴隷の反乱、さらに征服戦争が続けられており、ローマの制度は機能不全に陥っていました。例えば、実際に政治・軍事の指揮を執る2名の執政官は、任期が1年であり、戦争の最中に執政官が任期切れで交替する分けです。こうした危機的状況にあっても、元老院は自らの権益に固執して延々と議論に明け暮れていました。この状態で、ローマがここまで発展してきたのが、不思議なくらいです。
今やローマが必要としたのは、もっと効率的なシステム、つまり「独裁」であり、それを可能とするのは軍事力でした。しかしローマ人が最も嫌うのは「独裁」でした。カエサルはガリアで大勝した後、ローマに向かいますが、彼のライバルであるポンペイウスは元老院とともにギリシアに逃げてしまいます。紀元前48年にポンペイウスを破ると、カエサルは元老院を無力化し、紀元前44年に自ら終身独裁官になります。本来臨時の役職だった独裁官の職を恒久的なものとし、権力を一点に集中させたわけで、このシステムはそのまま彼の後継者オクタヴィアヌス(アウグストゥス)に継承され、帝政の基盤となっていきます。
カエサルは政治・軍事の天才と言われましたが、映画ではひたすら戦うカエサルが描き出され、軍事力で権力を握る過程が描かれています。しかし彼は、もちろん野心もあったでしょうが、自らの歴史的役割を十分に認識し、それを全うしていったのだと思います。
第3話「革命」
ドラマは、これよりさらに100年近く遡ります。当時ポエニ戦争が終わってまもなくのことであり、兵士は故郷に帰っても土地が失われており、平民の不満が高まっていました。こうした中で、ティベリウス・グラックスが登場し、彼は慣例を無視して護民官の職権を最大限に利用します。護民官は、元老院や執政官の決定に対して拒否権をもち、さらに平民会を招集する権限ももっていました。紀元前133年にティベリウスは護民官に当選すると、貴族の大土地所有を制限し、これを農民に分配するという法案を平民会に提出します。
元老院はあらゆる手を用いて法案の可決を阻止しようとしますが、結局法案は可決されました。しかし護民官の任期は1年であり、ティベリウスが再選を果たそうとしますが、その直前に暗殺されてしまいます。ティベリウスが30歳の時です。その10年後に、弟のガイウスが兄の意志を継いで改革を断行しようとし、21歳の時に護民官となりますが、元老に追い詰められ、自殺します。以後、カエサルが登場するまで、民衆のための改革は一切行われず、ローマは「内乱の一世紀」と呼ばれる混乱の時代を迎えることになります。
第4話「ユダヤ戦争」
再びネロ帝の時代に戻ります。この時代にローマ社会は大きく変化していました。自作農の没落は決定的となっていたため、農民による軍隊というローマの理念の維持は困難となり、傭兵が雇われるようになります。その結果、広大なローマ帝国の各地に膨大な軍隊が常駐され、それぞれの軍団の指揮者は巨大な軍事力をもつようになります。そうした中で、ネロ帝の末期の56年にユダヤで反乱が起きます。
ローマは属州の宗教や慣習には寛大でしたが、ユダヤ教が独特の一神教を維持していたことや、相次ぐ増税に対する不満から反乱が勃発しました。そして58年にネロ帝が死ぬと、各地の軍団から4人の皇帝が相次いで擁立され、ローマは大混乱に陥ります。そうした中で、ユダヤ戦争を戦っていたユダヤ総督ウェスパシアヌスがローマに向かったため、ユダヤでの戦争は膠着状態となります。しかし、やがてウェスパシアヌスが皇帝となると、ローマ軍はイェルサレムの総攻撃を行い、70年にイェルサレムは陥落し、その後もユダヤ人の抵抗は続きますが、74年にはほぼ鎮圧されることになります。
その後ローマは、1世紀末から2世紀にかけて、五賢帝時代と呼ばれる安定期を迎え、2世紀に第二次ユダヤ戦争が起きると、ローマはユダヤ的なものを徹底的に抹殺し、その結果ユダヤ教徒は世界各地に離散していくことになります。
ところで、ユダヤ戦争初期にユダヤ軍の指揮官だったヨセフスという人物が、ローマ軍に投降し、以後ローマ軍に協力します。映画は、このヨセフスを中心に展開されます。彼は後に「ユダヤ戦記」を著し、本書は誇張が多いのと自己弁護的であるという欠点がありますが、ユダヤ戦争の当事者による記録として、貴重な資料となっています。ヨセフスの「ユダヤ戦記」は日本語にも翻訳され、私はこれをもっていたのですが、一時大量に本を処分した時、一緒に本書も古本屋に売ってしまいました。
第5話「コンスタンティン(コンスタンティヌス)」
2世紀末に五賢帝最後の皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスが死ぬと、再び帝国は混乱状態に陥るとともに、ローマ社会も大きく変質していきます。商品作物を生産する奴隷制大土地所有に代わって、自給自足的な小作(コロヌス)制が普及すると、商品の流通が減少します。ローマ帝国は地中海を中心とした一大ネットワークとして発展しましたが、そのネットワークがしだいに寸断されていきます。また、3世紀に帝国のすべての自由民にローマ市民権が与えられたため、ローマ市民権の特権性がなくなってしまいます。属州の人々がローマ軍で25年働くと市民権が与えられましたが、もはや市民権をもつ意味がなくなり、兵士になる人々が激減したため、周辺のゲルマン民族などから兵士を集めるようになり、軍隊の構成が激変していきます。
3世紀末にディオクレティアヌス帝は、従来の緩やかで曖昧な政治体制を止め、官僚制に基づく専制支配体制を敷き、これにより帝国は一時的に安定しますが、305年に彼が引退した後、再び帝国は分裂してしまいます。こうした中で、コンスタンティヌスが登場し、324年に帝国を再統一しますが、彼の死後再び帝国は分裂することになります。もはや帝国の統一を維持することは困難となりつつありました。ヨーロッパでは、久しくコンスタンティヌスは名君として賞賛されてきましたが、それはキリスト教世界が生み出した伝説にすぎないと思います。
313年にコンスタンティヌス帝はキリスト教を公認します。彼自身がキリスト教の信仰をどこまで受け入れていたかは不明ですが、彼の母がキリスト教徒だったので、キリスト教に対する偏見はなかったと思われます。映画では、主にキリスト教を受容することの政治的なメリットが語られます。いろいろありますが、帝国の東方ではキリスト教徒が多いため、帝国の統一の過程で彼らを味方につけることができる、などです。そして何よりも重要なのはイデオロギーです。ローマには何万もの神々がいますが、それに対して彼は「帝国は一つ、神も一つ」と宣言し、コンスタンティヌスと神をだぶらせています。つまり統一を維持するために、キリスト教のイデオロギーを利用しようとしたのです。ここに、理想の古代キリスト教帝国という伝説が生まれることになります。
話しは飛びますが、8世紀の半ばに、「コンスタンティヌス寄進状」なるものが出現します。それによれば、コンスタンティヌスがコンスタンティノープルに遷都する際、西方世界をローマ教会に委ねることを約束したというもので、これを根拠にローマ教皇は800年にフランク王国の国王カール1世をローマ皇帝に戴冠します。ここに西欧キリスト教世界が成立したと一般に言われるわけですが、実は「寄進状」なるものが偽作であることが判明しています。つまりローマ教会は偽作文書を用いて西欧世界を乗っ取ったわけですから、これはまさに史上空前の詐欺事件です。カールの伝記作者は、教皇による突然の戴冠にカールは不愉快な顔をしたと記録していますから、カールはこのあたりの事情を知っていた可能性があります。しかし、いずれにしても、ここからコンスタンティヌス伝説が生まれることになります。ここに、フランク王国や神聖ローマ帝国が古代キリスト教帝国の後継者であるという、中世的な国家理念が生まれることになります。
このような意味において、結果論ではありますが、コンスタンティヌスは古代的世界から中世的世界への橋渡しの役割を果たしたと言えるのではないでしょうか。
第6話「西ローマ帝国の滅亡」
ディオクレティアヌス帝やコンスタンティヌス帝による再統一も、結局一時的なものでしかなく、その後も何回か再統一されることはありましたが、それを持続させることは困難でした。330年にコンスタンティノープルに遷都されて以来、東ローマ帝国は独自の発展をしていきますが、西ローマ帝国は衰退の一途をたどって行きます。
致命的だったのは、ゲルマン民族の大移動で、そのきっかけとなったのが、この映画のテーマである西ゴート族です。西ゴート族はスウェーデンから黒海沿岸のドニエプル川流域に移動し、ローマの傭兵となって帝国領内に居住することが認められていました。そうした中で、東からフン族が移動し、西ゴート族を圧迫したため、西ゴート族が大量に帝国領内に流れ込んできました。この映画の主人公であるアラリックが西ゴート族の王になると、西ローマ皇帝に帝国内に領地を要求します。映画では、長年放浪を強いられて苦しむアラリックと、プライドばかりが高くて実力のない皇帝とが、交互に描かれます。
結局、410年ローマはアラリックの攻撃によって陥落し、3日間掠奪されて廃墟となります。その後も西ローマ帝国は半世紀以上生き延びますが、それも5世紀後半に滅びます。410年のローマ陥落は衝撃的で、もはや人々はローマを顧みなくなります。6世紀に東ローマ帝国のユスティニアヌスがローマを再征服した時、ローマの人口は500人ほどしかいなかったそうです。
以上、ローマ帝国の興亡に関する6回のシリーズは、人物を中心に歴史を描いており、NHKの「その時歴史は動いた」のイギリス版といったところです。もちろん歴史の上で、ある人物の個性や決断が歴史に大きな影響をあたえることはあるとしても、そのような個性的な人物が出現し、そのような決断をするのには、そこに至る大きな歴史的背景があり、そのことを見逃して個人にだけ焦点を当てるのは問題があります。もっとも歴史を楽しむには、その方がおもしろいので、あまり堅いことは言いません。
ローマ帝国の滅亡
1964年にアメリカで制作された映画です。五賢帝の最後の皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス(以下アウレリウス帝)の死と、その後のコンモドゥス帝時代の混乱を描いています。
教科書的な五賢帝時代の説明によれば、皇帝たちは生前に優れた人物を後継者に指名したため、有能な皇帝が続きましたが、アウレリウス帝は愚かな息子コンモドゥスを後継者としたため帝国が混乱した、とされています。さらに賢明なアウレリウス帝が愚かな息子を後継者にした理由として、彼は別の後継者を考えていましたが、公表する前に暗殺された、とされました。この映画でも、そうした筋書きで描かれています。しかし実際には、たまたま五賢帝たちは直系の後継者をもたなかっただけであり、指名した後継者もすべて血縁者でした。そしてアウレリウス帝には直系の後継者がおり、彼以外を後継者にするとしたら、むしろ内乱の原因になってしまいます。
アウレリウス帝はストア派の哲学者として知られ、質素を旨とし、誰よりも戦争を嫌っていましたが、皮肉にも20年近い治世の大半を戦争に費やすことになります。周辺民族が絶え間なく国境を侵犯し、もはや広大な帝国を維持することは困難となりつつありました。彼以降、多分誰が皇帝になったとしても、帝国の没落を食い止めることはではなかったでしょう。その後の帝国は、さまざまな曲折を経つつも、ゆっくりと確実に没落の道を歩んでいったのです。
アウレリウス帝は、30年の結婚生活で13人の子を儲けますが、その内男子で生き残ったのはコンモドゥスだけでした。アウレリウス帝は、唯一の後継者コンモドゥスを手元において自ら教育し、コンモドゥスも清廉な青年に成長しました。そのため、180年にアウレリウス帝が死去し、コンモドゥスが帝位に就くことには何の問題もありませんでした。コンモドゥスが19歳の時で、統治の初期には優れた側近にも恵まれ、善政を敷いていました。彼を変えたのは、家庭内の不和でした。かなり年の離れた姉ルキッラは貴族に嫁いでいましたが、野心が強く、夫を出世させるよう弟に要求しますが、聞き入れられなかったため、弟の暗殺を謀ります。暗殺は失敗に終わり、関係者はことごとく処刑されますが、この頃からコンモドゥスは人間不信に陥り、奇行が目立つようになります。趣味の武術にのめり込み、闘技場を建設して剣闘や野獣との戦いを行い、実際彼の腕は相当なものだったようです。
彼は、公共建造物を建てたり、民衆に見世物を提供したり、食糧を配ったりしたため、民衆には人気がありました。しかしそうした費用は元老院から徴収していたため、元老院からは評判が悪く、結局、192年に元老院によって暗殺されました。31歳でした。
映画では、アントニウス帝は若い将軍リヴィウスを後継者しようとし、またコンモドゥスの妹ルシラ(ルッキラ)がリヴィウスと恋仲であり、二人はコンモドゥスに迫害されます。結局、最後にコンモドゥスとリヴィウスは闘技場で決闘を行い、コンモドゥスが死亡して終わります。
映画はそれなりに面白いものでしたが、史実がかなり歪められていました。コンモドゥスは、確かに問題のある人物であり、父ほど有能とは言えませんでしたが、それなりに善政を行っており、彼の時代には戦争も少なく比較的平和でした。かれの悪評の多くは、元老院によって作られたものではないかと思われます。
2000年にアメリカで制作された「グラディエーター」は、この映画と同じ時代を扱っています。アウレリウス帝は将軍マキシムスに帝位を譲ろうとしますが、コンモドゥスが父を殺害し、マキシムスの家族も皆殺しにしてしまいます。やがてマキシマスは剣闘士となり、コンドゥムスと戦って殺します。したがって話の枠組みは、「ローマ帝国の滅亡」とほとんど同じですが、「グラディエーター」では、アントニウス帝に対するコンモドゥス親子の屈折した感情、さらに姉であるルキッラとの近親相姦などが語られ、それなりに面白い映画ではありましたが、映画で歴史を観ようとする私には、どちらも今一の映画でした。
古代ギリシア同様、古代ローマについても、あまり感銘を受ける映画には出会えませんでした。キリスト教に関連する映画は沢山あるのですが、「キリスト教は迫害にもめげず信者が増大し、ついにローマの国教となった」といったステレオ・タイプの話は書きたくないので、ここでは触れません。ただ、次に見る映画はキリスト教を扱っていますが、従来とは全く異なる視点で描かれています。
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