2015年4月29日水曜日

「中国漫画史話」を読んで

畢克官(ひつ こくかん、1982年) 落合茂訳 1984年 筑摩書房
 タイトルの通り、中国の漫画の歴史を扱ったものです。まず、問題は漫画とは何かということが問題となります。ウイキペディアによれば、「漫画は、現時性と線上性とが複合した一連の絵である。現時性とは「その全てを一望して把握できること」、線上性とは「流れの中で部分を辿り、把握していくこと」である」ということですが、今一よく分かりません。著者は、風刺画すなわち漫画とはいえないと述べ、漫画の特徴は構想方法と表現方法の特殊性にあると述べていますが、これも今一分かりません。もともと中国には「漫画」という表現はなかったようで、この表現を明治時代の日本から学んだそうです。では日本の「漫画」は何に由来するのでしょうか。どうも葛飾北斎の「北斎漫画」にあるようです。「北斎漫画」は絵による随筆といわれ、「気の向くままに漫然と描いた画」という意味だそうです。





 中国で漫画が盛んになるのは辛亥革命前後ころからだそうですが、それ以前にも、数は少ないけれども、中国には漫画の古い伝統があるのだそうです。この絵は、明代に描かれた「一団和気図」という絵です。大まかに見ると、目を細めて笑っている人の姿が一個の球体にまとめられています。しかし、仔細に見ると三人の人が抱き合って一団となっており、さらに一つの顔が三つの顔で構成されています。この絵は、中国ではよく知られているある故事を描いているのだそうです。「晋代に慧遠(えおん)という高僧がいて盧山の奥深いところに住まいし、外出を嫌い、訪客を送るときも、すぐ近くの虎渓の手前までしか行かなかった。あるとき陶淵明と道士陸修静が訪ねてきた。三人はたちまち意気投合し、時のたつのも忘れて歓談した。慧遠は客を送りながらもなお話に熱中し、つい虎渓を渡ってしまった。これに気づいた時、三人は思わず顔を見合わせて、大いに笑い止まるところを知らなかったという。」要するに、儒教、道教、仏教という三つの異なった信仰をもつものが、ともに歓談しうるといことに感銘して描かれた絵です。そこにはストーリー性や思想性があり、決してこの絵が単なる戯画ではないことを示しています。
  
 辛亥革命後、反帝国主義闘争の啓蒙を目的とした漫画が多数発表されました。魯迅も、漫画の重要性を繰り返し強調しています。一目でストーリーも情感も思想も理解できるような漫画が、人々にいかに強烈な印象を与えるかということを、この絵が示しています。この絵は、孫文の「革命いまだ成功せず」という悲痛な叫びを描いています。















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