2015年4月22日水曜日

「図説 漢字の歴史」を読んで


阿辻哲次著 1989年 大修館書店

甲骨文字が生み出されてから今日に至るまでの、3千年以上に及ぶ漢字の歴史が、多くの図版を用いて、非常に分かりやすく述べられています。中国の歴史にはいつも驚かされることばかりですが、最も驚くべきことは、やはり漢字の発明だと思います。象形文字や楔形文字は忘れ去られ、それを基に生まれた文字は別の言語で用いられましたが、漢字は3千年以上前に発明されてから今日至るまで、基本的に同じ言語で用いられてきました。このような例は、他にはないのではないかと思います。甲骨文字が発見されてから、数十年の内に、甲骨文字はほぼ完全に解読されてしまいますが、その理由は、甲骨文字は基本的に現在使用されている文字と同じだからです。





























 また甲骨文字の発明や発見・解読に関して、多くのエピソードが語られており、大変興味深いものでした。太古の帝王の時代に、蒼頡(そうけつ)という記録係が、鳥や獣の足跡をヒントに甲骨文字を発明したという伝説があります。確かに甲骨文字は、鳥や獣の足跡に似ていなくは在りません。言い伝えによれば、彼は観察眼が非常に鋭く、目が4つあったとされます。もちろんこれは伝承にすぎませんが、彼より1500年以上後の漢代に描かれた彼の肖像画には、目が4つ書かれています。こういう人物を「文化英雄」と呼ぶのだそうですが、そういう意味ではギリシアのホメロスなども「文化英雄」と呼べるのではないでしょうか。
 象形文字や楔形文字と同様、甲骨文字についても絵から文字への転換の過程を正確に跡付けることはできませんが、甲骨文字から現代の漢字に至る過程については、本書でも、多くのエピソードとともに詳しく述べられており、大変参考になります。漢代に著された「説文解字」は、漢字の成り立や部首による分類を行っており、この著作こそが漢字文化の発展に大きく貢献することになりました。

 本書では「紙」についても述べられています。後漢の蔡倫以前に紙があったかどうかつにいて、物を包んだりするためのものとして類似した材質のものはあったとしても、文字を書くためのものとしての「紙」は存在しなかったとのことです。また「紙」の発明が、文字文化の在り方に決定的な役割を果たします。「それまでの文字を書くための素材は、(原則的には)すべて文字を書こうとする者が自ら材料を調達し、加工したものであり、他所から買ってくるというような性質のものではなかった。しかし紙は文字を書こうとする者が自分で作ったものではない。紙の製造には大きな設備と労力を必要とするから、……個人では紙の製造はまず不可能である。だから紙を使う記録者は、誰かが作った紙を買うなどして手に入れ、それに文字を書いたのである。逆にいえば、紙は記録者以外の人によって作られ、また販売されるという形態をとった初めての素材であった。このような形態の確立によって、誰でも金さえ出せば文字書写の素材を入手できるという状態が出現したのである。この点でも紙は文字そのものが広範囲に普及することに大きく作用したことと思われる。」


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